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森進一

森 進一(もり しんいち、1947年(昭和22年)11月18日 - )は山梨県甲府市出身の日本の歌手である。演歌を代表する人気歌手であるとともに、常に新たな音楽の領域に挑戦し続ける幅広い音楽性の持ち主でもある。本名は森内 一寛(もりうち かずひろ)。身長167cm、血液型O型。

大原麗子、森昌子との結婚歴があり(いずれもその後離婚)、昌子との間にできた長男森田貴寛はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストである。

目次 [非表示]
1 来歴
2 音楽
3 NHK紅白歌合戦出場歴
4 ディスコグラフィー
4.1 シングル
4.2 アルバム
5 CM出演
6 TV出演
7 脚注
8 外部リンク


来歴 [編集]
母子家庭で育ち、沼津、下関、鹿児島など各地を転々とする。中学卒業と同時に集団就職で大阪へ。家族に仕送りするために少しでもいい賃金を求めて17回も職を替えた[1]。

1965年、フジテレビ系の「リズム歌合戦」に出場して優勝。チャーリー石黒にその才能を見出され渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属。スクールメイツを経て翌1966年、その後の彼の数多くの代表曲を手がける恩師の猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビュー。「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共に、「ため息路線」として売り出される。

美声歌手が主流であった当時の歌謡界において、森のデビューは衝撃的であり、世間からは「声が卑猥(ひわい)だ」「キワモノ」「短命に終わる」などと酷評を受ける。しかしその後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを重ね一定の評価を獲得。ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で第19回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。

1969年には全国の港町の情景を織り込んだ「港町ブルース」を発表。21歳の若さで第11回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞、さらに出場2回目にしてこの年の第20回NHK紅白歌合戦のトリを務める[2]。

1971年には「おふくろさん」(作詞・川内康範、作曲・猪俣公章)が生まれ、この曲により2度目の歌唱賞を受賞。

1972年、森の狂信的なファンの女性から婚約不履行、未成年者略取[3]で告訴される。実際には女性の主張していた内容は全くの狂言だったが、彼女がそうした妄想にとらわれるようになったのは、以前病気療養中の森の母を見舞った際に母から親切に対応されたのがきっかけだった。このことを苦にした母は翌1973年に自殺する。山口地裁が森の全面勝訴を言い渡したのはその半年後だった。

1974年にはフォークソング全盛期の黄金コンビ、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」を発表。この曲で第16回日本レコード大賞、第5回日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得し、第25回NHK紅白歌合戦で初の大トリを務めることとなる。この「襟裳岬」との出会い以降彼の曲の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手には無い趣向を持ち始める。

1979年2月、デビュー以来約14年間に渡り在籍したナベプロを独立し、「森音楽事務所」を設立。しかし一流スターが多く在籍する大手事務所からの独立は芸能界における自身の居場所を失う可能性を示唆していた。この独立以降、NHKを除く民放各局へのテレビ出演やコンサート・舞台公演の開催が、ナベプロからの圧力によって困難な状況になったと言われる。

しかし同年夏、再起を賭けて発表した「新宿・みなと町」がヒット、以降の活動に弾みをつける契機となる。

1980年、女優の大原麗子と結婚。

1982年、松本隆作詞、大瀧詠一作曲(元はっぴいえんど)による「冬のリヴィエラ」を発表。従来とは異なる新たなファン層を開拓した[1]。

この頃の活動は、公私共に充実し順風であるとしながらも、実際の夫婦生活は既にすれ違いが生じていたと言われる。1984年に大原麗子と離婚。

離婚後、新しい挑戦として社会福祉活動「じゃがいもの会」を設立。デビュー当時より面識があり、社会福祉活動に力を注ぎその前年からユニセフ親善大使の職を拝命されていた黒柳徹子がこれに賛同。さらに歌手仲間である原田直之、小林幸子、森昌子らが参加した。

この「じゃがいもの会」での活動により歌手以外の社会的活動家としての「森内一寛」の一面が開花し、1998年の長野オリンピックの委員会理事、カンボジア地雷除去キャンペーン活動の発起人など、以後数多くの福祉・社会的活動に参画している。この活動には独立当初の騒動で迷惑を掛けた人々への感謝と贖罪の意味があったと言う。

この活動は新しい出会いを作るきっかけともなった。約1年半の交際を経て、1986年9月に森昌子と結婚。昌子はこれを機に歌手を引退。3児を授かり非常に仲睦まじい森夫妻の在り方は、一般に理想的な家庭像・夫婦像のイメージとして広く認知されるようになった。

1988年の「京都去りがたし」で初めて作曲を手掛ける。

「演歌の枠にとらわれず、いい音楽であれば何の障壁もなく耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」という彼の思いに共感する他ジャンルのアーティスト達と積極的に交流し、提供曲を精力的に歌い、発表した。

2002年からは妻・昌子とともにジョイント・コンサートを行うようになる。デュエットソングも2曲発表している(書籍扱いという異色の発売方法)。

しかし、その後昌子との意見の相違等により、結婚19年目の2005年3月に別居。その心労もあってか、彼は間も無くして長年の持病であったC型肝炎を悪化させ入院。4月19日には所属事務所から2人の離婚が発表された。闘病中、うつ病にかかるが、2006年3月に回復して退院した。

2007年2月、おふくろさん騒動が勃発、川内康範との確執が表面化した[4]。両者はついに和解に至ることのないまま、2008年4月6日に川内は逝去した。

2008年10月5日、台東区蔵前にあるビクターのショールームで新曲「波止場」の発表を兼ねたファン限定のミニライブを開催、そのステージ上でC型肝炎が完治したことを報告した。完治自体はおよそ2年前のことだという。

在日外国人を支援援助する社会福祉法人「さぽうと21」の理事に就任している。

2008年11月、森と川内の遺族が和解したことが明らかになり、1年9ヶ月に及んだおふくろさん騒動に一応の終止符が打たれた。話し合いの席には関係者らと森やレコード会社が同席したという。同年の第59回NHK紅白歌合戦に出演した際に「おふくろさん」を歌唱した。

音楽 [編集]
演歌界を代表する人気歌手だが、固定観念にとらわれず様々なジャンルの作品を歌うことを信条としている。一般的に形式を重んじ急激な変化を好まない演歌界においては森のようなスタイルは稀少である。楽曲提供者には岡本おさみ、吉田拓郎、大瀧詠一、松本隆、井上陽水、谷村新司、まこと、はたけ、須藤晃、長渕剛[5]、細野晴臣、松山千春、BORO、坂井泉水といった多彩な顔ぶれが名を連ねる。演歌嫌いを公言して憚らなかった淡谷のり子からもその音楽性を賞賛された[6]。森はこうした自身の多彩な活動について「僕が歌ってきたのは演歌ではなく流行歌です」と説明している[1]。

日本の国民的な作曲家である古賀政男の知遇を得てその薫陶を受けたこともまた特筆すべきである。プロ歌手として3年目の1968年には古賀メロディーを集めたアルバム『影を慕いて』が製作された。「人生の並木路」の録音の際には歌の内容を自らの人生に重ね合わせてしまい、涙を抑えることができなかった。後日の録り直しを申し出る森に対し、古賀は「歌は生き物だからこれでいいんだ」とそのままOKを出したという[1]。

NHK紅白歌合戦出場歴 [編集]
森進一は、1968年(第19回)紅白歌合戦に初出場して以来、2008年(第59回)の紅白まで41回連続出場をしており、これは連続出場記録としては歴代第1位の記録である。通算出場回数も北島三郎に次いで第2位。初めてトリを務めたのは、出場2回目である1969年(第20回)の「港町ブルース」で、白組トリ歴代最年少記録を持つ。トリ通算出場回数は9回で、美空ひばり、五木ひろし(いずれも13回)、北島三郎(11回)に次いで歴代第4位。トップバッターは2回務めている。

   

年度 放送回 回数 曲目 出演順 対戦相手 備考
1968年(昭和43年) 第19回 初 花と蝶 22/23 黛ジュン トリ前(1)
1969年(昭和44年) 第20回 2 港町ブルース 23/23 美空ひばり(1) トリ(1)
1970年(昭和45年) 第21回 3 銀座の女 24/24 美空ひばり(2) トリ(2)
1971年(昭和46年) 第22回 4 おふくろさん 25/25 美空ひばり(3) トリ(3)
1972年(昭和47年) 第23回 5 放浪船(さすらいぶね) 01/23 天地真理 トップバッター(1)
1973年(昭和48年) 第24回 6 冬の旅 18/22 青江三奈
1974年(昭和49年) 第25回 7 襟裳岬 25/25 島倉千代子 大トリ(4)
1975年(昭和50年) 第26回 8 あゝ人恋し 18/24 小柳ルミ子
1976年(昭和51年) 第27回 9 さざんか 19/24 八代亜紀(1)
1977年(昭和52年) 第28回 10 東京物語 23/24 都はるみ(1) トリ前(2)
1978年(昭和53年) 第29回 11 きみよ荒野へ 23/24 都はるみ(2) トリ前(3)
1979年(昭和54年) 第30回 12 新宿・みなと町 20/23 森昌子(1)
1980年(昭和55年) 第31回 13 恋月夜 22/23 小林幸子(1) トリ前(4)
1981年(昭和56年) 第32回 14 命あたえて 20/22 都はるみ(3)
1982年(昭和57年) 第33回 15 影を慕いて 22/22 都はるみ(4) 大トリ(5)
1983年(昭和58年) 第34回 16 冬のリヴィエラ 20/21 小林幸子(2) トリ前(5)
1984年(昭和59年) 第35回 17 北の螢 20/20 都はるみ(5) トリ(6)
1985年(昭和60年) 第36回 18 女もよう 20/20 森昌子(3) 大トリ(7)
1986年(昭和61年) 第37回 19 ゆうすげの恋 20/20 石川さゆり(1) 大トリ(8)
1987年(昭和62年) 第38回 20 悲しいけれど… 01/20 八代亜紀(2) トップバッター(2)
1988年(昭和63年) 第39回 21 京都去りがたし 18/21 ちあきなおみ
1989年(平成元年) 第40回 22 指輪 18/20 小林幸子(3)
1990年(平成2年) 第41回 23 おふくろさん(2回目) 29/29 都はるみ(6) 大トリ(9)
1991年(平成3年) 第42回 24 泣かせ雨 25/28 桂銀淑
1992年(平成4年) 第43回 25 劇場の前 23/28 大月みやこ
1993年(平成5年) 第44回 26 さらば友よ 25/26 都はるみ(7) トリ前(6)
1994年(平成6年) 第45回 27 おふくろさん(3回目) 21/25 由紀さおり・安田祥子(1)
1995年(平成7年) 第46回 28 悲しみの器 24/25 都はるみ(8) トリ前(7)
1996年(平成8年) 第47回 29 夜の無言(しじま) 10/25 都はるみ(9) 前半トリ(1)
1997年(平成9年) 第48回 30 襟裳岬(2回目) 23/25 石川さゆり(2)
1998年(平成10年) 第49回 31 冬の旅(2回目) 22/25 藤あや子
1999年(平成11年) 第50回 32 おふくろさん(4回目) 24/27 由紀さおり・安田祥子(2)
2000年(平成12年) 第51回 33 終列車 22/28 川中美幸
2001年(平成13年) 第52回 34 それは恋 20/27 坂本冬美
2002年(平成14年) 第53回 35 運河 13/27 中村美律子 前半トリ(2)
2003年(平成15年) 第54回 36 狼たちの遠吠え 15/30 安室奈美恵 前半トリ(3)
2004年(平成16年) 第55回 37 さらば青春の影よ 24/28 倉木麻衣
2005年(平成17年) 第56回 38 おふくろさん(5回目) 23/29 AI
2006年(平成18年) 第57回 39 おふくろさん(6回目) 13/27 石川さゆり(3) 前半トリ(4)
2007年(平成19年) 第58回 40 北の螢(2回目) 26/27 和田アキ子 トリ前(8)
2008年(平成20年) 第59回 41 おふくろさん(7回目) 25/26 天童よしみ トリ前(9)
2009年 (平成21年) 第60回 42 出場予定 

注意点
曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
なお、紅白歌合戦は1989年(第40回)を除いて二部制(第一部と第二部)を採用していない。三分割されるなどイレギュラーな回も存在していたが、現在は“前半戦”と“後半戦”とで構成され、ニュース中断の前を前半戦、その後を後半戦と呼ぶ。攻守交替や司会者のアナウンスなどにより前半戦において両軍の締めくくりを務めたことが明確である場合には、「前半トリ」(「前半大トリ」との呼び方はしない)と呼ぶ。また、その直前の対戦相手を「前半紅組トリ」あるいは「前半白組トリ」と呼ぶ。ただし、視聴率調査結果発表は二部制で表記をおこなう。
ディスコグラフィー [編集]
シングル [編集]
1966年
女のためいき 1966年6月20日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
東京みれん 1966年10月30日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
1967年
女の波止場 1967年1月15日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
女の酒場 1967年4月15日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
女の岬 1967年7月15日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
命かれても 1967年9月10日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
盛り場ブルース 1967年12月5日 作詞:藤三郎、補作詞:村上千秋/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎
1968年
湯の町の女 1968年2月5日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
花と蝶 1968年5月5日 作詞:川内康範/作曲:彩木雅夫/編曲:森岡賢一郎
ひとり酒場で 1968年7月5日 作詞:吉川静夫/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
年上の女(ひと) 1968年11月5日 作詞:中山貴美、補作詞:水沢ひろし/作曲:彩木雅夫/編曲:森岡賢一郎
1969年
港町ブルース 1969年4月15日 作詞:深津武志、補作詞:なかにし礼/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
おんな 1969年7月25日 作詞:山口あかり/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎
花と涙 1969年10月5日 作詞:川内康範/作曲:宮川泰/編曲:森岡賢一郎
1970年
恋ひとすじ 1970年2月5日 作詞:藤田まさと/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
波止場女のブルース 1970年6月5日 作詞:なかにし礼/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎
銀座の女 1970年9月15日 作詞:川内康範/作曲:曽根幸明/編曲:曽根幸明
望郷 1970年12月25日 作詞:橋本淳/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
1971年
慕情~天草の女~ 1971年4月5日 作詞:山口あかり/作曲:平尾昌晃/編曲:小谷充
おふくろさん 1971年5月5日 作詞:川内康範/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
火の女 1971年9月5日 作詞:川内康範/作曲:彩木雅夫/編曲:彩木雅夫
流れのブルース 1971年12月5日 作詞:保富康午/作曲:城美好/編曲:小谷充
1972年
波止場町 1972年4月5日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
旅路のはてに 1972年7月25日 作詞:林春生/作曲:馬飼野俊一/編曲:馬飼野俊一
放浪船(さすらいぶね) 1972年10月25日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
1973年
夜の走り雨 1973年2月25日 作詞:千家和也/作曲:鈴木邦彦/編曲:森岡賢一郎
くちべに怨歌 1973年6月15日 作詞:青山五平/作曲:猪俣公章/編曲:竹村次郎
冬の旅 1973年10月10日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
襟裳岬 1973年12月1日 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野康二
1974年
さらば友よ 1974年4月15日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
北航路 1974年9月15日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
湯けむりの町 1974年12月25日 作詞:山下路夫/作曲:小室等/編曲:森岡賢一郎
1975年
女がひとり 1975年4月10日 作詞:阿久悠/作曲:彩木雅夫/編曲:森岡賢一郎
別れの接吻 1975年6月25日 作詞:阿久悠/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一
あゝ人恋し 1975年10月10日 作詞:阿久悠/作曲:浜圭介/編曲:萩田光雄
1976年
故郷 1976年1月10日 作詞:阿久悠/作曲:大野克夫/編曲:馬飼野俊一
つくり花 1976年5月25日 作詞:千家和也/作曲:大野克夫/編曲:馬飼野俊一
さざんか 1976年8月25日 作詞:中山大三郎/作曲:猪俣公章/編曲:小杉仁三
1977年
雨の桟橋 1977年1月5日 作詞:中山大三郎/作曲:中山大三郎/編曲:若草恵
夜行列車 1977年6月10日 作詞:喜多条忠/作曲:吉田拓郎/編曲:竜崎孝路
東京物語 1977年10月5日 作詞:阿久悠/作曲:川口真/編曲:馬飼野康二
1978年
甘ったれ 1978年2月5日 作詞:阿久悠/作曲:アダモ/編曲:川口真
林檎抄 1978年5月25日 作詞:阿久悠/作曲:川口真/編曲:船山基紀
雪よおまえは 1978年9月5日 作詞:喜多条忠/作曲:中山大三郎/編曲:若草恵
きみよ荒野へ 1978年12月5日 作詞:岡本おさみ/作曲:鈴木キサブロー/編曲:馬飼野俊一
1979年
新宿・みなと町 1979年8月1日 作詞:麻生香太郎/作曲:西谷翔/竜崎孝路
1980年
酒場舟 1980年1月21日 作詞:麻生香太郎/作曲:蘭世(森進一のペンネーム)/編曲:竜崎孝路
涙きらり 1980年5月1日 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:高田弘
恋月夜 1980年8月5日 作詞:麻生香太郎/作曲:西谷翔/編曲:小谷充
夢という名の女 1980年11月5日 作詞:阿久悠/作曲:浜口庫之助/編曲:薗広昭
1981年
東京みなと 1981年5月1日 作詞:原淳二/作曲:市川昭介/編曲:市川昭介
命あたえて 1981年9月21日 作詞:川内康範/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
それは恋 1981年11月5日 作詞:秋元松代/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
1982年
哀愁行路 1982年3月21日 作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:薗広昭
男の真情 1982年7月21日 作詞:白鳥園枝/作曲:木村好夫/編曲:馬場良
冬のリヴィエラ 1982年11月21日 作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:前田憲男
1983年
紐育(にゅーよーく)物語 1983年4月21日 作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣,坂本龍一
モロッコ 1983年10月5日 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:井上鑑
冬桜 1983年10月5日 作詞:たかたかし/作曲:三木たかし/編曲:竜崎孝路
1984年
待たせたね 1984年2月5日 作詞:松山千春/作曲:松山千春/編曲:馬飼野俊一
人を恋する唄 1984年3月21日 作詞:たかたかし/作曲:岡千秋/竜崎孝路
北の螢 1984年8月5日 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:川口真
1985年
昭和流れうた 1985年4月5日 作詞:いではく/作曲:遠藤実/編曲:斉藤恒夫
女もよう 1985年9月25日 作詞:結城忍/作曲:猪俣公章/編曲:竜崎孝路
サマータイム 1985年10月21日 作詞:Dubose Heyward/作曲:George Gershwin
1986年
わが故郷は心のふるさと/止まり木のブルース 1986年1月21日 作詞:たかたかし/作曲:彩木雅夫/編曲:川口真
ゆうすげの恋 1986年7月5日 作詞:中山大三郎/作曲:中山大三郎/編曲:斉藤恒夫
1987年
十六夜舟(いざよいぶね) 1987年1月21日 作詞:白鳥園枝/作曲:中村清一/編曲:前田俊明
男ばなし 1987年2月21日 作詞:星野哲郎/作曲:大野雄二/編曲:川口真
悲しいけれど 1987年7月1日 作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし/編曲:川口真
1988年
挽歌の街から 1988年1月21日 作詞:売野雅勇/作曲:浜圭介/編曲:若草恵
京都去りがたし 1988年5月21日 作詞:売野雅勇/作曲:森進一/編曲:竹村次郎
1989年
冬の桑港 1989年1月1日 作詞:荒木とよひさ/作曲:杉本真人/編曲:川村栄二
指輪 1989年7月21日 作詞:麻生香太郎/作曲:森進一/編曲:前田俊明
うさぎ 1989年8月21日 作詞:保富康午/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
夢をつづけて 作詞:荒木とよひさ,梶賀千鶴子/作曲:三木たかし/編曲:青木望
1990年
移り香 1990年4月21日 作詞:やしろよう/作曲:西谷翔/編曲:竜崎孝路
風のエレジー 1990年8月1日 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:萩田光雄
1991年
酒無情 1991年1月1日 作詞:阿久悠/作曲:宮川彬良
泣かせ雨 1991年6月21日 作詞:石本美由起/作曲:市川昭介/編曲:馬場良
愛しい人よ 1991年11月21日 作詞:魚住勉/作曲:馬飼野康二/編曲:ジミー・ハスケル,馬飼野康二
1992年
悲しい歌が流行ります 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:川村栄二
劇場の前 1992年10月21日 作詞:野口雨情/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二
1993年
わるいひと 1993年5月21日 作詞:久仁京介/作曲:森進一/編曲:馬場良
夢をかざって 1993年8月5日 作詞:里村龍一/作曲:猪俣公章/編曲:馬場良
1994年
ふたり坂 作詞:中村修二/作曲:森進一/編曲:馬場良
うそつき 1994年4月21日 作詞:たかたかし/作曲:森進一/編曲:馬場良
土俵の鬼 1994年5月21日
1995年
泣きむし東京 1995年1月1日 作詞:売野雅勇/作曲:森進一/編曲:竜崎孝路
ひとすじの白い道 1995年3月1日 作詞:中山大三郎/作曲:中山大三郎/編曲:中山大三郎
女恋港 1995年6月21日 作詞:森進一/作曲:森進一/編曲:前田俊明
悲しみの器 1995年9月22日 作詞:谷村新司/作曲:谷村新司/編曲:若草恵
1996年
薄雪草 1996年2月21日 作詞:吉岡治/作曲:森進一/編曲:前田俊明
夜の無言(しじま) 1996年8月21日 作詞:まこと/作曲:はたけ/編曲:十川知司
1997年
北のふるさと 1997年2月1日 作詞:いではく/作曲:遠藤実/編曲:馬場良
ライラ ライ 1997年9月22日 作詞:須藤晃/作曲:橘いずみ /編曲:須藤晃
1998年
女心 1998年3月10日 作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:馬場良
1999年
女の愛 1999年1月21日 作詞:土田有紀/作曲:弦哲也/編曲:池多孝春
昭和最後の秋のこと 1999年7月1日 作詞:阿久悠/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二
語りかけ 1999年8月2日 作詞:川内康範/作曲:川内康範/編曲:乃木五郎
裏切り 1999年8月2日 作詞:織田愛/作曲:弦哲也/編曲:池多孝春
2000年
ウィスキー色の街で 2000年5月24日 作詞:岡本おさみ/作曲:細野晴臣/編曲:三井誠
終列車 2000年9月21日 作詞:木下竜太郎/作曲:西條キロク/編曲:馬場良
2001年
雨の空港 2001年5月23日 作詞:木下竜太郎/作曲:西條キロク/編曲:佐伯亮
2002年
セピアの雨 2002年1月23日 作詞:BORO/作曲:BORO/編曲:BORO
運河 2002年10月23日 作詞:たかたかし/作曲:森進一
2003年
しあわせのうた 作詞:やまさき十三/作曲:弦哲也、森昌子とデュエット
哀の河 2003年6月20日 作詞:かず翼/作曲:四方章人/編曲:前田俊明
狼たちの遠吠え 2003年12月17日 作詞:作曲:長渕剛
2004年
じゃがいもの唄 2004年5月19日 ※参加 森 昌子・川中 美幸・森口 博子・黒柳 徹子
さらば青春の影よ 2004年11月21日 作詞:坂井泉水/作曲:大野愛果/編曲:徳永暁人
2005年
はな 2005年6月1日 作詞:阿久悠/作曲:宮川彬良
2006年
たずねて小樽 2006年5月17日 作詞:土田有紀/作曲:大谷明裕
2007年
人生ひたすら 2008年5月23日 作詞:田久保真見/作曲:弦哲也
2008年
女の恋 2008年3月19日 作詞 :麻こよみ/作曲:金田一郎
波止場 2008年10月1日 作詞 :麻こよみ/作曲:森進一
2009年
ゆらぎ 2009年6月17日 作詞:木本慶子/作曲:金田一郎
アルバム [編集]
影を慕いて(1968年)
無情の夢(1968年)
花と涙/森 進一のすべて(1969年)
森進一のブルース(1970年)
波止場女のブルース(1970年)
演歌(1971年)
旅路(1971年)
森進一(1971年)
再会(1971年)
女の詩集(1972年)
輪廻(1972年)
ベスト・コレクション(1973年)
グランド・デラックス(1974年)
熱唱の森進一 オン・ステージ(1974年)
ベスト・コレクション '75(1974年)
湯けむりの町(1975年)
CM出演 [編集]
日産自動車 ローレル(C34後期型)
日本アイビーエム JX(1984年)
資生堂
TV出演 [編集]
歌謡コンサート(NHK)
のど自慢(NHK)
笑っていいとも! テレフォンショッキング(フジテレビ)
SMAP×SMAP(フジテレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)
年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)
中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS)
脚注 [編集]
^ a b c d 西日本新聞連載(2005年1月1日〜1月14日) 幸せの道標 森進一とその時代
^ 出場2回という異例の速さでのトリ抜擢をNHKの製作者サイドに促したのは紅組のトリとして対戦した美空ひばりだったと伝えられている。
^ 女性は森との間にできた子供を森が連れ去ったと吹聴し、果てはマネージャーがその子を殺して遺棄したと主張して、鹿児島県警が殺人、死体遺棄の容疑で取調べる事態にまで発展した。実際には女性が子供を産んだとしていたその時期に、彼女は別の男性との間にできた子供を堕胎していたことが地検の捜査で判明した。
^ 川内は「女のためいき」「花と蝶」「命あたえて」など数多くの森作品の作詞を担当したばかりでなく、私生活でのスキャンダルなどの問題処理を一手に引き受けるなど、森の芸能活動を全面的にバックアップした存在だった。
^ 長渕夫人の志穂美悦子と森の前妻である昌子が古くからの親友であった関係で親交を持つようになった。
^ 淡谷は森が自身の代表曲である「別れのブルース」をテレビの音楽番組で披露する際にも快く承諾していたという。
[ 2008/11/26 17:50 ] wikipedia | TB(0) | CM(0)
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