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奥田民生

奥田 民生(おくだ たみお、1965年5月12日 - )は、広島県広島市東区尾長出身のシンガーソングライター及びユニコーンのメンバー。音楽プロデューサーとしても活動している。血液型B型。父は、元広島市議会議員(日本共産党)の奥田幹二(おくだ かんじ、1941年6月20日 - )[1][2][3]。

目次 [非表示]
1 概要
2 人物
3 来歴
4 エピソード
5 ライブ
5.1 ライブ・バンド
5.1.1 GOZ 第1期 1995年~2002年、2004年
5.1.2 GOZ 第2期 2002年~2003年
5.1.3 MTR&Y 2005年~2008年
5.2 ひとり股旅
6 CCCD騒動
7 ディスコグラフィ
7.1 シングル
7.2 アルバム
7.3 企画盤
7.4 映像作品
7.4.1 LIVE
7.4.2 PV集
8 その他参加作品
9 楽曲提供
10 書籍
11 ゲーム
12 関連人物
13 脚注
14 関連項目
15 外部リンク


概要 [編集]
1987年、ロックバンド「ユニコーン」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し、バンドブームの寵児ともいわれた。バンドは1993年に解散。その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。以降、ソロ活動の傍ら、女性デュオ「PUFFY」のプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、多方面で活動している。代表曲は、「愛のために」「イージュー★ライダー」「さすらい」「マシマロ」など。

人物 [編集]
様々なジャンルの音楽が台頭した現在でも、ロックンロールにこだわり続けており「ROCKIN'ON JAPAN」誌からは、「日本一のロック大将」[4]と称えられ、「朝日新聞」からは「J-POPの大立者」ともいわれている[5]。一方で、音楽的に洒落を効かせることも得意としており、ユニコーン時代からこれまで、ソロのいくつかの楽曲やPUFFYに提供した楽曲などにおいて、数々のアーティストのパロディ(引用されるのは、ビートルズやELOの曲が多い)を行っていることも、特徴のひとつである。

奥田と言えば、テレビに出演した際などのダラダラとしたトークや飄々とした感じがイメージされることが多いが、サウンドに対するこだわりは相当なもので、例えば、音質に関してCDの音質に満足出来ず、カーオーディオにDAT搭載モデルがない事[6]を嘆いていたほど。雑誌での奥田のCDを評して、「相変わらず音が良い」「洋楽のようだ」などと書かれる事が多々ある。アルバム『FAILBOX』以降はほぼ全ての作品をアナログ盤でもリリースしている。2002年以降に、レコード会社各社が導入したコピーコントロールCD‎についても、ミュージシャン側で導入前から音質面に大きな問題がある事を把握していた、数少ない人物の1人であった(詳細は後述)。また、そのCCCD‎事件でも窺えるが、常に一貫した考えを持ち、時代に合わせることのないマイペースな姿勢は、音楽で体現されている。そのため、同業のミュージシャン達からの評価は非常に高い。

ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でも、ギブソン社製のギターが多く、名器・1959年製レスポール・スタンダードを長年に渡りメインで使用してきた。なお、40歳の誕生日に、ギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈され、2008年8月には、近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現した、カスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。

郷土愛が強いことで知られており、広島東洋カープの大ファンである。タワーレコードのポスターで、元カープの達川光男と共演した程である。カープのロゴにある「カープ坊や」のイラストを変えて、「民生坊や」にした事もあった。2004年に広島市民球場において、同球場史上初のコンサートを行ったことでも大きな話題になった。 同じ広島出身の吉川晃司(寺田堂(後述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLANの森友嵐士は同級生、広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(「唇をかみしめて」をカバー)、後輩に磯部正文(元HUSKING BEE)、MEGらがいる。

趣味は、釣りと車。バスプロの今江克隆、河辺裕和とは、兼ねてから親交がある。車に関しては、4歳の頃に車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。ありゃぁシルビアじゃろ。」と言い当てた、という逸話を持つ車好きである。歌詞の中にも、度々車やバイクに関するネタが登場し、それらの曲を集めたコンピレーション・アルバム『CAR SONGS OF THE YEARS』を発表しているほど。愛車は、ダッジ・マグナム 、初代カマロなどの外車のほか、最近は黒のスバル・R1に乗っており、タイヤとホイールとマフラーの交換はもちろんのこと、パドルシフト仕様に改造するなど、車へのこだわりが垣間見られる(カーライフスタイル誌デイトナや、BSフジの番組「所さんの世田谷ベース」でも、奥田のR1が取り上げられた)。 ファッションにも独自のこだわりがあり、過去に男性ファッション誌「BOON」の企画において、リーのジーンズやコンバースのスニーカーなどの奥田仕様の別注モデルを制作したことがある。

天然パーマである。デビューしてからは髪を立てたり、長髪でストレートにしていたりしたが、年を重ねるにつれ、定期的に坊主にするなど、髪型にはこだわりがなくなっているようである。また、製作期間に坊主にすることが多いため、メディアに出る時は大抵伸びきっている。

来歴 [編集]
広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業。中学生の頃に、初めてバンドを結成している。高校時代には、アーチェリー部に所属し、県大会で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)。当初は、端でギターを弾いてたが、女の子のファンから注目され始めたため、引っぱり出されてフロントマンになり、曲作りも始める。1986年、「ユニコーン」にボーカルとして加入。同年ソニーミュージックのオーディションに合格。

1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でメジャーデビューを果たす。1989年に発表したシングル「大迷惑」の大ヒットをきっかけにブレイク。以降、サラリーマンの悲哀を歌った「働く男」や「ヒゲとボイン」、今や年末の定番曲となった冬のバラード「雪が降る町」、そして「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。ユニコーンは、THE BLUE HEARTSやジュンスカイウォーカーズと並ぶ、バンドブーム時代を代表するロックバンドとして活躍した。

ユニコーンは当時のロック誌・PATI-PATIなどに毎回巻頭で扱われる程、バンドブームの寵児となった。また、何でもありの一筋縄では行かない豊かな音楽性は、一般のファンのみならず、松任谷由実や氷室京介など同業のミュージシャンや音楽評論家など、玄人筋のファンが多かった。現在は、奥田とユニコーンに影響を受けたというゆず[7]や、藤巻亮太[8][9](レミオロメン)、和田唱(TRICERATOPS)[10]、山口隆(サンボマスター)、SEAMO[11][12]、志村正彦[13](フジファブリック)、髭、BEAT CRUSADERS、MONGOL800[14][15]、マキシマムザホルモン[16][17]、ミドリカワ書房[18]など、若いミュージシャンが出て来ている[19]。Mr.Childrenの桜井和寿は、ユニコーンからの影響を話している[20][21]が「僕は民生フォロワー」とも発言している[22]。小渕健太郎(コブクロ)は「影響を受けてるレベルではなく、もう"血"です」と話している[23]。 井上陽水とユニットを組んだのは、陽水の息子が奥田のファンだったのが切っ掛けだが、娘・依布サラサも奥田の大ファンで、奥田に会うと、いつも上がって話が出来ないという[24][25]。
1992年、JUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とのユニット「寺田」を結成してツアーを行う。また、後述の「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」の後夜祭にて、同郷のCHEMISTRYの堂珍嘉邦を交えて3人で「寺田堂」を結成。
「夢で逢えたら」のテーマ曲にユニコーンが起用され、同番組にも何度か出演。その後『ダウンタウンのごっつええ感じ』にて、阿部義晴と共に準レギュラーとして「民生くんとアベくん」のコーナーを担当。以来、ダウンタウンとの親密な関係は続いており、後に奥田は、浜田のテレビ番組『人気者で行こう!』に出演するなどしている。
1993年9月21日、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。これ以後奥田は「充電期間」と称して、釣りに没頭する。

およそ1年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始。同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成する。

1996年には、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち振る舞いが話題になり、大ヒット。プロデューサーとしても各方面から注目を集める。

1997年、井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム1枚を発表し、年末まで活動。またこの年は、浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行っている。浜田雅功の番組「人気者でいこう!」にも出演していた。

1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行い話題となる。

2000年、北海道のローカル番組「鈴井の巣」(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲した。

2001年「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。

2002年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加する。艶のある唱法で新たな魅力を引き出した。

2003年、真心ブラザーズのYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。

2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、初めて広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組「OH! MY RADIO」(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰。惜しまれつつ3月で卒業。

2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。また、「SPARKS GO GO」のメンバーとのバンド「THE BAND HAS NO NAME」が15年ぶりの活動を再開。なお、このバンド名は「名前のないバンド」の意味のため、新バンド名を募集中。同年10月7日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」3回目の出演。

2006年、Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」の全国ツアーを、4月から神戸を皮切りに敢行。ステージには、ユニットの家紋が飾られ、侍語のアピールに、歌詞以外は外来語を禁止、ビートルズの歌を歌う時は「次はかぶとむしの歌でござる」などと紹介する。また、前年に引き続き、広島市民球場でカープ球団とタイアップした奥田民生観戦セット「OT Rock Seat」(入場券+奥田民生オリジナルキャラクター人形+弁当)を7月と8月の計14試合で販売。年末には、ユニコーン時代の盟友阿部義晴の40歳記念ツアーに、ジェット機らとともに参加。また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。

2007年デビュー20周年を迎える。井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバムを発表。10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。

2008年12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008」に5度目となる出演を果たす。

2009年、ユニコーン活動再開。ユニコーンの活動と並行して、夏フェスでは「ひとり股旅」を行い、また同年11月公開の映画『僕らのワンダフルデイズ』の音楽アドバイザーおよび劇中歌の楽曲提供、主題歌を担当するなどソロ活動も精力的に行っている。7月1日に所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツ(Sony Music Artists、略称SMA)顧問に就任する。また、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2009」に6度目の出演を予定している。

エピソード [編集]
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2008年10月貼付)

父親は日本共産党員で広島市議会議員(引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。「民生(たみお)」の名も音読みが同じ「民青(みんせい)」から来ている。風変わりな名前であるため、未だに雑誌・インターネット媒体に「民夫」と誤表記されることも少なくない。ナレーターの奥田民義と混同される事もある。父親の選挙の応援時にミニライブなどもやったことがある。
デビュー前、アルバイト先の喫茶店で「民生スペシャル」という鶏肉中心の定食メニューを考案した[26]。
そのアルバイト先の喫茶店の店長が後年当時のエピソードを綴った、アイドルやミュージシャンにありがちな暴露本を奥田に無断で出版、それに激怒した奥田は店長と絶縁したとされており、それを証明するかのように「悩んで学んで」のPVでは一瞬だけその本が燃えているシーンがある。
ユニコーン在籍時、ソロ活動もまだの段階で『PATi PATi』発の単行本『奥田民生ショウ』(ソニー・マガジンズ、1992年)という異例の奥田個人の本が出た[27]。
奥田のファンだと言う木村拓哉とテレビで共演した時、木村が一番好きな曲と言うPuffyに書いた「海へと」を演奏した。この時、木村が「こんないい曲、何で自分で歌わないんですか」と聞くと「いやぁ時間が無くて」と締め切りに間に合わず、やむなくPuffyに渡したことを明かした。後に「海へと」自体はライブ盤で民生バージョンがCD化された。
Puffyプロデュースの動機は、小室哲哉や小林武史らが活躍し始めた時期で、ああいうことが自分に出来るかどうか、挑戦してみたかったと著書で述べている[2]。
さとう珠緒がグラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった[28]。
小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった。
同じ『HEY!HEY!HEY』の未公開トークで、井上が自宅に来ることを知っていて掃除していたら、インターフォンが聞こえずに井上を怒らせて帰ってしまった。その当時は暑い日であったと井上が告白している。
上記のように非常にミーハーな一面があり、2004年にパーソナリティーを担当した『OH! MY RADIO』においても「ブリトニー可愛い」、「ブリトニーも可愛いがビヨンセはもっと可愛い、ポスターも買った」、「伊東美咲超可愛い」などミーハーぶりを発揮していた。が、「アヴリルはそうでもない」らしい。
Jリーグ・ディビジョン2において、サンフレッチェ広島とアルビレックス新潟が激しい昇格争いを繰り広げていた2003年、新潟サポーターが、応援歌として使用しているユニコーン時代の曲「I'M A LOSER」の替え歌をCDに収録するために許可を取ろうとしたところ、奥田は「広島の敵に曲を提供することは出来ない」とにべもなく断った。カープのみに留まらない、奥田の郷土愛を示すエピソードである。
大のテレビゲーム好きでユニコーン時代に雑誌に連載を持つほどであった。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では「スーパーファイヤープロレスリング」でピエール瀧との熱戦を繰り広げた。『ダウンタウンのごっつええ感じ』において、松本人志と「テトリス」で対決し勝利したこともある。シンプルなゲームが好きなようで一時期はWindowsのピンボールにハマっており、毎日2時間はプレイしていたという[29][30]。
奥田の楽曲自体にも多数見受けられるが、楽曲のタイトルもまた、有名な書籍や楽曲などのタイトルのパロディとなっているものが多数ある。例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「AND I LOVE CAR」(ビートルズの「AND I LOVE HER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。
漫画家のいくえみ綾は奥田のファンであり、週刊ヤングサンデーにて楽曲を漫画化した作品を発表。
「歌詞を覚えられない」とよく口にする。そのため、彼の楽曲には歌詞を少なくする工夫がされている。洋楽を愛好してきた影響で言葉の内容よりも語感を重視する傾向があるが、詞世界はファンなどの間で高く評価されている。
楽曲「息子」は子どもが生まれる前に作った曲で、友人の結婚式に「大迷惑」を歌うわけもいかず、結婚式でも歌える曲として作った。
現在は一児の父でもある(親子三人でいる所を放送作家の高須光聖が目撃している)。
ライブ [編集]
ライブ・バンド [編集]
GOZ 第1期 1995年~2002年、2004年 [編集]
奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス
長田進:ギター/コーラス
斎藤有太:キーボード/コーラス
根岸孝旨:ベース/コーラス
古田たかし:ドラム/コーラス
TOUR "29-30"~TOUR 0102「奥田STANDARD民生CUSTOM」、TOUR OT10
長田、根岸、古田の詳細についてはDr.StrangeLoveを参照。

GOZ 第2期 2002年~2003年 [編集]
奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス
長田進:ギター/コーラス
斎藤有太:キーボード/コーラス
根岸孝旨:ベース/コーラス
古田たかし:ドラム/コーラス/フルート
西岡英朗:パーカッション/トランペット/コーラス
+

ワンツー佐藤(佐藤一二):ドラム
Live E 0203

MTR&Y 2005年~2008年 [編集]
奥田民生:ヴォーカル/ギター
斎藤有太:キーボード/コーラス
小原礼:ベース
湊雅史:ドラム
TOUR "MTR&Y 05"~FANTASTIC TOUR 08

ひとり股旅 [編集]
奥田のライブ形態の一種。作務衣(松本人志から「一人ごっつ」用のものを譲り受けた)にタオルを頭に巻いた出で立ちで、バックバンドは一切設けずアコースティックギター1本で事務用の椅子に座って演奏する。MCでは酒を挟み、演奏曲もその時の気分で決められる。通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツ「タイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。

CCCD騒動 [編集]
発端
奇しくも奥田ソロデビュー10周年のアニバーサリーイヤーであった2004年、当時主流であったコピーコントロールCD(以下CCCD)であるが、音質劣化や利便性の悪さから、一部のミュージシャン、リスナーからは歓迎されていなかった。反対派を公言するミュージシャン(山下達郎、佐野元春など)も多く、その中の1人浅倉大介が自身のファンクラブの会報で「レコード会社 (SME) にCCCDについて説明を受けに行った際、今までに説明を求めてきたのは自分(浅倉)と奥田さんともう1人[31]の3人しかいなかったということにまず驚いた」と発言、また前述の通り奥田の音質に対する拘りは相当なもので、ファンは当然奥田はCCCD反対派で、導入は有り得ないと思われていた。しかし、SMEが全リリース作品レーベルゲートCD(SME独自のCCCD)化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」について、公式掲示板での質問にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、これにファンは落胆、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた(「CCCDって何?」といった書き込みも多く、これは「知っている人しかその問題性を知らない」というCCCDの特質を表しており、中にはCCCD化反対の書き込みを「単なる荒らし」として切り捨てる書き込みもあった)。これを受け奥田自身が公式サイト上でCCCD導入に至った経緯を説明したが「(音質について)はっきり言って違和感なし[32]」とCCCDを肯定する発言に、ファン以外のCCCD反対派からも反感を買い、ネット上などでCCCDについて議論される場において、奥田は「肯定派」として認識されるようになっていった。
実状
こうして「CCCD肯定派」のレッテルを貼られてしまった奥田だが、実際にはCCCD、アナログ盤以外に実験的に「DVD-Music」(専用の再生機器が必要なDVD-Audioと違い、一般的なDVDプレイヤーで再生可能でCD-DAよりも高音質だが、他に導入しているメジャー系のアーティストは殆どいなかった)盤を発売したり、ジャケットに大きくフォーマット名が書かれているデザインを採用(通常CCCDロゴは帯やステッカーに表記されている為、これらが無ければ通常CDとの区別が困難)したりと、明らかにCCCDをイレギュラーな存在として扱っていた(そもそもCD-DAとCCCDを区別するという行為自体が当時は異質であった)。雑誌のインタビューでも「もめている」、「レコード会社の中で(自分が)目立ってしまっている」、「なぜ他の人は(CCCDの問題について)言わないのか」などと発言[33]。こうしてシングル3枚を異例の3フォーマットで発売、アルバム『LION』はさらにSACD盤も加え4フォーマットでの発売となった。また、レーベルゲートCD化最初のシングル「サウンド・オブ・ミュージック」の歌詞において、皮肉にも奥田は「音楽を楽しむ姿勢は自由である」と歌っており、暗にCCCDを批判しているのではという憶測も飛び交った。当時、SMEはCCCD化に関して徹底しており、一切の例外を認めず、最後までレーベルゲートCDでのリリースを拒み続けた佐野元春はデビュー以来数十年所属していたソニーを離れ、自主レーベルを立ち上げ話題となった[34]。
終息
事態が急変したのは「LION」発売直前、突如公式サイト上でスタッフからCD-DAでのリリースがアナウンスされ、ほぼ同時期にSMEがレーベルゲートCDの撤廃を発表した。シングルと違ってジャケットにフォーマット名が入っていなかったことや、発表のタイミングを考えると、以前から奥田はじめスタッフはCD-DAでのリリースを目指していたことがうかがえる。当初、既にレーベルゲートCDで発売されている商品に関してはそのまま販売を継続するとされていたが、後にレーベルゲートCDでリリースされたシングル3作品も店頭回収、新品番にてCD-DA盤が再リリースされ、晴れてジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
ディスコグラフィ [編集]
ソロ名義の作品を記載。井上陽水奥田民生、O.P.KING、THE BAND HAS NO NAMEのリリース作品は各記事を参照。

シングル [編集]
休日/健康(1992年8月29日)
愛のために(1994年10月21日)
息子(1995年1月15日)
コーヒー(1995年5月21日)
悩んで学んで(1995年10月1日)
イージュー★ライダー(1996年6月21日)
恋のかけら(1997年11月1日)
さすらい(1998年2月5日)
月を超えろ(1999年2月20日)
マシマロ(2000年1月19日)
The STANDARD(2001年7月25日)
CUSTOM(2001年10月24日)
花になる(2002年3月20日)
ヘヘヘイ(2002年9月4日)
まんをじして(2002年10月23日)
サウンド・オブ・ミュージック(2004年4月28日)
スカイウォーカー(2004年6月30日)
何と言う(2004年8月25日)
トリッパー(2005年10月5日)
MANY(2006年07月19日)
無限の風(2007年11月21日)
SUNのSON(2008年9月17日)

1.「休日/健康」から8.「さすらい」までの8cmシングルは2005年3月24日に12cmシングルで再発された。
以下の3作品は当初、LGCD2(コピーコントロールCD)で発売されたが、SMEのLGCD廃止に伴い、店頭回収、新品番にてCD-DA盤がリリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
『サウンド・オブ・ミュージック』旧品番:SECL-73 → 新品番:SECL-318
『スカイウォーカー』旧品番:SECL-83 → 新品番:SECL-321
『何と言う』旧品番:SECL-99 → 新品番:SECL-327



アルバム [編集]
29(1995年3月8日)
30(1995年10月1日)
FAILBOX [ミニアルバム](1997年7月1日)
股旅(1998年3月18日)
GOLDBLEND(2000年3月23日)
E(2002年9月19日)
LION(2004年10月6日)
comp [ミニアルバム](2005年4月27日)
ここまでのアルバムは全て2007年12月に紙ジャケット仕様で再発売。
Fantastic OT9(2008年1月16日)
企画盤 [編集]
CAR SONGS OF THE YEARS(2001年1月11日)
OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / CD(2003年11月6日)
記念ライダー1号〜奥田民生シングルコレクション〜(2007年1月17日)
記念ライダー2号〜オクダタミオシングルコレクション〜(2007年1月17日)
奥田民生・カバーズ(2007年10月24日)
BETTER SONGS OF THE YEARS(2008年10月29日)
僕らのワンダフルデイズ サウンドトラック(2009年11月4日)※シーラカンズ/奥田民生 名義
映像作品 [編集]
LIVE [編集]
tamio okuda TOUR "29-30"(1995)
tamio okuda TOURDUST "0-30"(1995)
TOUR 1997 股旅(1998)
ひとり股旅(1999)
TOUR 2000 GOLDBLEND(2000)
OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / DVD(2003)
ひとり股旅スペシャル@広島市民球場(2005)
okuda tamio Cheap Trip 2006(2006)
okuda tamio FANTASTIC TOUR 08(2008)
PV集 [編集]
OT clips of the years(2001)
『29』から『GOLDBLEND』までのPVを収録。
OT clips of the years Vol.2(2004)
『E』、『LION』のPVを収録。
その他参加作品 [編集]
渡辺満里奈のアルバム『a piece of cake!』(1990)に『夜道』(/渡辺満里奈・奥田民生)収録
ピチカート・ファイヴのアルバム『月面軟着陸』(1990)の『これは恋ではない』にラップで参加
鈴木祥子のシングル『たしかめていてよ』(1998)共同作曲、ギター、コーラス
ムーンライダースのシングル『SWEET, BITTER, CANDY-秋~冬』(1998)の2番にゲストボーカルとして参加
忌野清志郎30周年記念ライブアルバム『RESPECT!』(2000)でRCサクセションのカバー『つ・き・あ・い・た・い』(/奥田民生)収録
矢沢永吉のトリビュート・アルバム『JOYRIDE』(2001)に『世話がやけるぜ』(/奥田民生)収録
真心ブラザーズのシングル『明日はどっちだ!]』(2001)の『明日はどっちだ!(CM Version)』にギターとして参加
東京スカパラダイスオーケストラのシングル『美しく燃える森』(2002)にゲストボーカルとして参加
桑田佳祐のアルバム『TOP OF THE POPS』(2002)に『光の世界』(/桑田佳祐&奥田民生)収録
スピッツのトリビュート・アルバム『一期一会 Sweets for my SPITZ』(2002)に『うめぼし』(/奥田民生)収録
つじあやののアルバム『COVER GIRL』(2004)に『シャ・ラ・ラ』(/つじあやの&奥田民生)収録(原曲はサザンオールスターズ)
井上陽水のトリビュート・アルバム『YOSUI TRIBUTE』(2004)に『リバーサイド ホテル』(/奥田民生)収録
真心ブラザーズのトリビュート・アルバム『真心COVERS』(2004)に『空にまいあがれ』(/奥田民生)収録
ウルフルズのアルバム『ええねん』(2004)の『Sleep John B]』にコーラスとして参加
ジョン・レノンのトリビュート・アルバム『HAPPY BIRTHDAY,JOHN』(2005)に『HEY BULLDOG』(/奥田民生)収録
AC/DCのトリビュート・アルバム『THUNDER TRACKS』(2008)に『Whole Lotta Rosie』(/奥田民生)収録
上田現のトリビュート・アルバム『Sirius〜Tribute to UEDA GEN〜』(2008)に『プレゼント』(/奥田民生)収録
JUDY AND MARYのトリビュート・アルバム『JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album』(2009)に『散歩道』(/奥田民生)収録
LAZYのシングル『感じてKnight』(2009)にULTIMATE LAZY for MAZINGER(LAZY、奥田民生、斉藤和義、JAM Project)として参加。
THE BOOMのトリビュート・アルバム『BOOMANIA〜THE BOOM SPECIAL BEST COVERS〜』(2009)に『君はTVっ子』(/奥田民生)収録
くるりのトリビュート・アルバム『くるり鶏びゅ〜と』(2009)に『ばらの花』(/奥田民生)収録
楽曲提供 [編集]
大泉バンド
負け戦 作詞:大泉洋、作曲:奥田民生
大貫亜美
女の子男の子 作詞:奥田民生、作曲:Andy Sturmer、編曲:奥田民生
葛山信吾
バトル 作詞:秋元康、作曲:奥田民生、編曲:樫原伸彦
木村カエラ
BEAT 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
ROCK ON 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
1115 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
小泉今日子
月ひとしずく 作詞:小泉今日子・井上陽水・奥田民生、作曲:井上陽水・奥田民生、編曲:白井良明
オトコのコオンナのコ 作詞:小泉今日子、作曲:奥田民生、編曲:菅野よう子
THE COLLECTORS
悪い月 作詞・作曲:奥田民生
坂本美雨
鉄道員 作詞:奥田民生、作曲・編曲:坂本龍一
西城秀樹
きみの男 作詞・作曲:奥田民生、編曲:上邑博(※プロデュースを担当した織田哲郎の依頼で行った作品)
鈴木祥子
たしかめていてよ 作詞:鈴木祥子、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
赤い実がはじけてた 作詞:鈴木祥子・只野菜摘、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
ダウンタウン
くつみがき 作詞:松本人志、作曲:奥田民生、編曲:佐藤英二
中山忍
光のオペラ 作詞:巻上公一、作曲:奥田民生、編曲:有賀啓雄
芳賀ゆい
星空のパスポート 作詞:奥田民生、作曲:生福、編曲:小西康陽(※ 生福の「酸素でルルル」が原曲)
濱田マリ
人の息子 作詞・作曲:奥田民生、編曲:森俊之
PUFFY
アジアの純真 作詞:井上陽水、作曲・編曲:奥田民生
これが私の生きる道 作詞・作曲・編曲:奥田民生
他多数
浜田雅功
春はまだか 作詞・作曲・編曲:奥田民生(※ PVにも出演、浜田の横でギターを弾いている)
松浦善博
フィルモア最初の日 作詞・作曲:奥田民生
山瀬まみ
ゴオ! 作詞:サエキけんぞう、作曲:奥田民生、編曲:三柴江戸蔵
地球よ 私のために廻れ! 作詞:朝野深雪、作曲:奥田民生、編曲:すがいゆきお・横関敦
吉田ヒロ
君の涙に微笑みを 作詞:島武実、作曲:奥田民生、編曲:鈴木智文
書籍 [編集]
『奥田民生ショウ』/奥田民生・宇都宮美穂(1992)
『フィッシュ・オア・ダイ』/奥田民生(1996)
『奥田民生別注武運』(1999)
『俺は知ってるぜ』/奥田民生(2005)
『奥田民生ショウ2』/宇都宮美穂・三浦憲治(2005)
『奥田民生ギター弾き語り全曲集』
ゲーム [編集]
『○○おもいっきり男』/奥田民生監修(2003)
関連人物 [編集]
井上陽水 - 陽水の息子がユニコーンのファンであり、「雪が降る町」の歌詞に感動した陽水がその歌詞を奥田に送ったことから交友が始まる。
脚注 [編集]
^ 『奥田民生ショウ』宇都宮美穂・著(ソニー・マガジンズ文庫) より
^ a b 『俺は知ってるぜ』奥田民生・著(ロッキング・オン) より
^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第19版』(サンケイ新聞データシステム) より
^ 「ROCKIN'ON JAPAN」、2002年10月10日号、表紙
^ 朝日新聞、2008年2月9日、17頁
^ 実際にはソニーからカーDATが発売されていた。奥田も後に購入。
^ THE M(日本テレビ、2008年6月22日SP)
^ FM802『MUSIC FREAKS』、2003年10月12日 FM802藤巻亮太ラジオ
^ 別冊カドカワ、角川書店、2008年1月、52、53頁
^ トライセラトップス和田唱日記
^ 特集 ユニコーン、CDジャーナル、掲載日:2009/02/25
^ 続けてきただけ -SEAMOの言葉-、SEAMO著、2008年6月、辰巳出版、45、54頁
^ 別冊カドカワ、2008年1月、55頁
^ MONGOL800 - livedoor Blog(ブログ)
^ MUSICA、2009年5月号、FACT、28-31頁
^ ROCKIN'ON JAPAN、2008年8月号、60頁
^ さるさる日記 - ナヲちゃんのときめき乙女日記
^ ミドリカワ書房 インタビュー
^ 別冊カドカワ、2008年1月、50頁
^ FISH OR DIE、1999年5月、角川書店、89-91頁
^ 音楽サイト・バークス Mr.Childrenインタビュー
^ 別冊カドカワ 総力特集 奥田民生、角川書店、2004年10月、119頁
^ 別冊カドカワ、2008年1月、50、51頁
^ CDでーた、角川マガジンズ、2009年5月号、109頁
^ honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」
^ UNICORN 人に歴史あり〈其の壱〉1990年、音楽専科社
^ 音楽誌が書かないJポップ批評56、宝島社、2008年11月、p64
^ 『奥田民生別注 武運』1999年、祥伝社
^ "Excite エキサイト : ミュージック (音楽)インタビュー・奥田民生 My旬ランキング". 2009年5月26日 閲覧。
^ "Excite エキサイト : ミュージック (音楽)インタビュー・奥田民生 My旬ランキング". 2009年6月30日 閲覧。
^ ASIAN KUNG-FU GENERATIONの公式サイトの日記に記述があるため、アジカンのメンバーと思われる。
^ "奥田民生よりコメント". 2009年1月24日 閲覧。
^ WHAT's IN? (2004年7月号、ソニーマガジンズ)
^ "ナタリー - 佐野元春 ネット時代の音楽ビジネスを語る". 2009年1月24日 閲覧。
[ 2000/11/27 16:25 ] wikipedia | TB(0) | CM(0)
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