北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年10月4日 ‐ )は、日本の演歌歌手、俳優、作詞家、作曲家である。
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1 人物
2 来歴
2.1 デビューまで
2.2 メジャーデビュー
2.3 低迷からの脱出
2.4 演歌の大御所として
3 ディスコグラフィー
4 NHK紅白歌合戦出場歴
5 楽曲提供曲
6 歌碑・記念館
7 出演作品
7.1 レギュラー番組
7.2 時代劇
7.3 テレビ番組
7.4 舞台公演
7.5 テレビCM
7.6 パチンコ・パチスロ
7.7 通信カラオケシステムでの本人出演映像
7.8 過去の主なレギュラー番組
8 競馬との関連
8.1 主な所有馬
9 家族
10 北島ファミリー
11 関連項目
12 外部リンク
人物 [編集]
本名は大野穣(おおのみのる)。一般にはサブちゃんという愛称で呼ばれる。また作詞家・作曲家、としては原 譲二(はら じょうじ)の筆名で自身の曲は勿論だが、下述している北島ファミリーのメンバー等の他の演歌歌手に楽曲提供する事もある。更に自身の舞台のシナリオや演出も原譲二の名で担当している。
デビュー時に所属した新栄プロダクションを経て後に独立し、北島音楽事務所を旗揚げした。
「函館の女」に始まる『女』シリーズ、「兄弟仁義」などの『任侠』シリーズなど、数多くのヒット曲がある。
演歌の振興や後進の育成にも貢献しており、山本譲二、小金沢昇司など、北島と同じ事務所または北島を慕う演歌歌手によって北島ファミリーが形成されている。ファミリーからは親父と呼ばれている。
舞台前に飲まないと調子良く歌えないと漏らす程、三ツ矢サイダーを愛飲しており愛弟子の北山たけしが舞台前に三ツ矢サイダーをどうしても入手できず北島に別メーカーのサイダーを注いだところ、違いを見抜いた北島から怒号が飛んだというエピソードがある。
口癖は「アメリカにジャズあり、フランスにシャンソンあり、日本に演歌あり。」
佛所護念会教団の信者としても知られている。
来歴 [編集]
デビューまで [編集]
北海道上磯郡知内村(現在の知内町)出身。北海道函館西高等学校に進学した。高校時代の北島は、海で溺れた小学生を救助したという逸話がある(この人命救助の件は当時の函館新聞にも掲載され、その記事が函館市の北島三郎記念館に飾られている)。
高校在学中に函館で開催された「NHKのど自慢」に出場し、歌手を志すことになる。
18歳で高校を中退、東京の親族を頼って上京し、当初は東京声専音楽学校(後の昭和音楽芸術学院、現在は閉校)に入学。しかし歌謡曲志向であったため、渋谷を拠点に流しの仕事をしながらデビューを目指す。流しの収入は3曲100円であったと云われている。またこの頃、妻・雅子(後の北島音楽事務所社長→副会長)と結婚。
歌手デビュー一年前の25歳の時に、『ゲルピンぽん太ちん太』の“ぽん太”として漫才コンビでのステージも経験。これは歌の師匠がステージ度胸をつけるためにやらせたらしく、お客さんに受けなかったため、ギャラは一切もらえなかったと云う。
メジャーデビュー [編集]
芸名の『北島三郎』は、当時の恩師であった船村徹により、北の島(北海道)から来たので姓を北島とし、また三郎はみんなが親しみやすいようにと命名された。
1962年、村田英雄の「王将」のヒット記念パーティーで歌手としての初舞台を踏み、その後の映画出演においても『兄弟仁義』等の東映任侠路線で多数共演した。このような縁から後年も村田英雄を先輩歌手としてよく慕った。
そして同年6月、「ブンガチャ節」(作詞・星野哲郎、作曲・船村徹)で日本コロムビアからメジャー・デビューしたが売れることはなかった。
この曲は渋谷などの繁華街で流しが歌っていた春歌(猥歌)の歌詞を変えて売り出したもので、後に放送禁止となった(歌詞の中にある合いの手がベッドが軋む音を連想させ卑猥だからという俗説もある)。
低迷からの脱出 [編集]
急造されたセカンド・シングル「なみだ船」がヒット(公称で20万枚)し、出世作となる。
1963年秋、日本クラウンの設立と同時に同社へ移籍。クラウンレコード第一回新譜に、美空ひばりらと共に名を連ねる。また、この年紅白歌合戦に初出場。
1965年、「兄弟仁義」や「函館の女」(公称で150万枚)がヒットし、演歌歌手としての人気を確立。兄弟仁義は東映で映画化され自らも出演。これも大ヒットし、シリーズ化され、主演映画スターとしても活躍するようになる。
1978年、「与作」(NHK『あなたのメロディー』で公募)は競作となったが、親しみやすい歌詞とゆったりした曲調でヒットし、ファン層を拡大することに成功。
1980年代以降、腹が丈夫であったことが由来とされるペンネーム・原譲二を用いて自ら作詞や作曲、演出を手がけることが多くなってゆく。
1985年8月、飛行機に特設ステージを設け、機内コンサートを開催。なお、飛行機内での本格的コンサートは世界初。
1986年、暴力団との交際が明らかになったため、第37回NHK紅白歌合戦への出場が取り消される(連続出場回数は23回でストップ)。
演歌の大御所として [編集]
1997年9月、演歌初のCDエクストラとなる「出逢い」を発売。また、北海道寿都町のイメージソング「風のロマン/弁慶岬」も歌う。
1998年、アニメの主題歌(NHK『おじゃる丸』主題歌「詠人(うたびと)」を歌うなど、新しいジャンルへも挑戦。
「あの日時代」は、オリコン演歌チャート(注・シングルチャートではない)で、最高位1位を記録(同チャート1位の史上最高齢記録を更新)。
2003年11月29日、八王子観光大使に委嘱。
2006年10月、満70歳を迎えたことを祝うパーティーの席上で、ファミリーの「長男」という位置づけであった山本譲二を2007年に“暖簾分け”の形で独立させることと、音楽事務所の社長を夫人の雅子から長男の龍に交代させることを発表し、周囲を驚かせた。なお、北島は「今後も山本を支援し続けることに変わりはない」と明言。
現在、東京都八王子市に在住。
ディスコグラフィー [編集]
1962年:なみだ船〔作詞:星野哲郎、作曲:船村徹〕(第4回日本レコード大賞新人賞受賞曲。)
1963年
ギター仁義〔作詞:嵯峨哲平・作曲:遠藤実〕
銀座の庄助さん〔作詞:三宅辰美・作曲:いづみゆたか〕
1964年
喧嘩辰〔作詞:有近朱実・作曲:関野幾生〕
男の情炎〔作詞:英玲二・作曲:関野幾生〕
あばよ東京
1965年
兄弟仁義〔作詞:星野哲郎、作曲:北原じゅん〕
帰ろかな〔作詞:永六輔、作曲:中村八大〕
11月函館の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津信男〕
1967年
博多の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
関東流れ唄〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
男の一本道〔作詞:星野哲郎・作曲:安藤実親〕
1968年
薩摩の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
伊予の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
伊勢の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
1969年
仁義〔作詞:星野哲郎・作曲中村千里〕
加賀の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
浪人まかり通る〔作詞:結束信二・作曲:阿部皓哉〕
1970年:誠〔作詞:星野哲郎・作曲:中村千里〕
1971年:任侠〔作詞曲:水城一狼〕
1973年:木曾の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
1974年:みちのくの女
1976年:歩〔作詞:関沢新一・作曲:安藤実親〕
1977年:終着駅は始発駅〔作詞:佐東たどる・補作詞:星野哲郎・作曲:中村千里〕
1978年:与作〔作詞・作曲:七沢公典〕(NHK総合テレビ『あなたのメロディー』にて発表された曲)
1979年:横浜の女〔作詞:星野哲郎・作曲:島津伸男〕
1980年:風雪ながれ旅〔作詞:星野哲郎・作曲:船村徹〕
1984年:まつり〔作詞:なかにし礼・作曲:原譲二〕
1985年
箱根のおんな〔作詞:星野哲郎・作曲:原譲二〕
男の劇場〔作詞:星野哲郎・作曲:北原じゅん〕
1986年:北の漁場 (第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。)芸道25周年記念曲。
1987年
川〔作詞:野村耕三・作曲:池山錠〕
息子〔作詞:星野哲郎・作曲:船村徹〕
1988年
がまん坂〔作詞・作曲:原譲二〕
年輪
三郎杉〔作詞:内田善士・補作詞:石本美由紀・作曲:原譲二〕
1989年
魂(こころ)〔作詞:たかたかし・作曲:原譲二〕
平成音頭
1990年:山〔作詞:星野哲郎・作曲:原譲二〕
1991年1月:北の大地〔作詞:星野哲郎・作曲・船村徹〕(第33回日本レコード大賞(演歌・歌謡曲部門)受賞曲)
1993年:男道〔作詞・作曲:原譲二〕
1995年:谷
1996年:石狩川よ〔作詞:星野哲郎・作曲:船村徹〕- 芸道35周年記念曲。
1997年
狼〔作詞:久仁京介・作曲:原譲二〕
竹〔作詞:野村耕三・作曲:原譲二〕
1998年:詠人〔作詞・作曲:大地土子〕(NHK教育のアニメ『おじゃる丸』オープニングテーマ曲。)
1999年:港春秋〔作詞:星野哲郎・作曲:原譲二〕
2000年:橋 (北島三郎)(作詞:仁井谷俊也・作曲:原譲二)
のぼり坂(北島三郎)(作詞:北川文化・補作詞・作曲:原譲二)
2001年:演歌兄弟〔作詞・作曲:原譲二〕-(デュエット:鳥羽一郎)
人生道〔作詞:仁井谷俊也・作曲:原譲二〕 - 芸道40周年記念曲。
2003年:花の兄弟〔作詞・作曲:原譲二〕-(デュエット:鳥羽一郎)
北の男船〔作詞:大屋詩起・作曲:原譲二〕
2004年:峠〔作詞:木下龍太郎・作曲:原譲二〕
2005年:還暦〔作詞・曲:木津夢人〕
2006年:標〔作詞:鈴木紀代・作曲:原譲二〕 - 芸道45周年記念曲。
2007年:風よ〔作詞:野村耕三・作曲:原譲二〕
灯台あかり〔作詞:奥田龍司・原譲二・作曲:原譲二〕
ひとすじ〔作詞:久仁京介・作曲:原譲二〕
2008年:忠治流れ旅〔作詞:久仁京介・作曲:原譲二〕
NHK紅白歌合戦出場歴 [編集]
1963年に初出場して以来、現在まで歴代最多の通算45回の出場を数える。連続出場回数は、1986年に暴力団との交際が明らかになったため、出場取り消しとなり、23回でストップしている。トリ通算出場回数は11回で、美空ひばりと五木ひろし(いずれも13回)に次いで歴代第2位。
年度/放送回 回 曲目 出演順 対戦相手
1963年(昭和38年)/第14回 初 ギター仁義 03/25 松山恵子
1964年(昭和39年)/第15回 2 ソーラン仁義 01/25 朝丘雪路 トップバッター
1965年(昭和40年)/第16回 3 帰ろかな 24/25 こまどり姉妹 トリ前(1)
1966年(昭和41年)/第17回 4 函館の女 07/25 畠山みどり
1967年(昭和42年)/第18回 5 博多の女 21/23 都はるみ(1)
1968年(昭和43年)/第19回 6 薩摩の女 13/23 江利チエミ
1969年(昭和44年)/第20回 7 加賀の女 22/23 都はるみ(2) トリ前(2)
1970年(昭和45年)/第21回 8 誠 23/24 青江三奈(1) トリ前(3)
1971年(昭和46年)/第22回 9 北海太鼓 10/25 島倉千代子(1)
1972年(昭和47年)/第23回 10 冬の宿 23/23 美空ひばり トリ(1)
1973年(昭和48年)/第24回 11 帰ろかな(2回目) 22/22 島倉千代子(2) トリ(2)
1974年(昭和49年)/第25回 12 寒流 14/25 水前寺清子(1)
1975年(昭和50年)/第26回 13 残雪 22/24 都はるみ(3)
1976年(昭和51年)/第27回 14 歩 22/24 青江三奈(1)
1977年(昭和52年)/第28回 15 終着駅は始発駅 14/24 水前寺清子(2)
1978年(昭和53年)/第29回 16 与作 19/24 小柳ルミ子
1979年(昭和54年)/第30回 17 与作(2回目) 22/23 都はるみ(4) トリ前(4)
1980年(昭和55年)/第31回 18 風雪ながれ旅 18/23 都はるみ(5)
1981年(昭和56年)/第32回 19 風雪ながれ旅(2回目) 22/22 森昌子 大トリ(3)
1982年(昭和57年)/第33回 20 なみだ船 20/22 小林幸子(1)
1983年(昭和58年)/第34回 21 漁歌 17/21 八代亜紀(1)
1984年(昭和59年)/第35回 22 まつり 18/20 八代亜紀(2)
1985年(昭和60年)/第36回 23 十九のまつり 17/20 八代亜紀(3)
1987年(昭和62年)/第38回 24 川 18/20 石川さゆり(1)
1988年(昭和63年)/第39回 25 年輪 21/21 小林幸子(2) 大トリ(4)
1989年(平成元年)/第40回 26 夜汽車 20/20 石川さゆり(2) トリ(5)
1990年(平成2年)/第41回 27 山 27/29 和田アキ子(1)
1991年(平成3年)/第42回 28 北の大地 27/28 石川さゆり(3) トリ前(5)
1992年(平成4年)/第43回 29 帰ろかな(3回目) 28/28 由紀さおり 大トリ(6)
1993年(平成5年)/第44回 30 まつり(2回目) 26/26 石川さゆり(4) 大トリ(7)
1994年(平成6年)/第45回 31 年輪(2回目) 24/25 石川さゆり(5) トリ前(6)
1995年(平成7年)/第46回 32 谷 23/25 石川さゆり(6)
1996年(平成8年)/第47回 33 風雪ながれ旅(3回目) 25/25 坂本冬美(1) 大トリ(8)
1997年(平成9年)/第48回 34 竹 24/25 和田アキ子(2) トリ前(7)
1998年(平成10年)/第49回 35 根っこ 24/25 安室奈美恵 トリ前(8)
1999年(平成11年)/第50回 36 まつり(3回目) 27/27 和田アキ子(3) 大トリ(9)
2000年(平成12年)/第51回 37 帰ろかな(4回目) 27/28 和田アキ子(4) トリ前(9)
2001年(平成13年)/第52回 38 山(2回目) 27/27 和田アキ子(5) 大トリ(10)
2002年(平成14年)/第53回 39 帰ろかな(5回目) 26/27 天童よしみ(1) トリ前(10)
2003年(平成15年)/第54回 40 風雪ながれ旅(4回目) 28/30 石川さゆり(7)
2004年(平成16年)/第55回 41 峠 25/28 坂本冬美(2)
2005年(平成17年)/第56回 42 風雪ながれ旅(5回目) 28/29 中島美嘉 トリ前(11)
2006年(平成18年)/第57回 43 まつり(4回目) 27/27 川中美幸 大トリ(11)
2007年(平成19年)/第58回 44 帰ろかな(6回目) 22/27 天童よしみ(2)
2008年(平成20年)/第59回 45 北の漁場 22/26 一青窈
2009年(平成21年)/第60回 46 出場予定
注意点
対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。
曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
出演順は『出演順/出場者数』で表す。
楽曲提供曲 [編集]
作詞・作曲
北山たけし
男の船出
片道切符
勇気の一歩(作詞は、数丘夕彦と共作)
瀬川瑛子
愛の川
ふるさと景色
憲三郎&ジョージ山本
浪漫-ROMAN-
みちのく乃兄弟
みちのくの渡り鳥
和田青児
演歌海道(作詞は、いとう彩と共作)
リンゴのふる里へ
別れの海峡
作曲
北山たけし
筑後川
小金沢昇司
義経伝説
まごころの花よ
瀬川瑛子
恋間川
命歌
あなたが命
原田悠理
虹
みちのく乃兄弟
ふるさとに逢いたい
みちのくの桜
ふるさとの風はやさしかった
山口ひろみ
ひだまり坂
春は二度来る、三度来る
山本譲二
えくぼ
長州の男
生きる
和田青児
夢一路
望郷歌
人生列車
青春は終わらない
甲州街道の渡り鳥
さいはての宿
上野発
おやじさん
里見☆しのぶ
めぐり逢い函館
おんなの桟橋
大江裕
のろま大将
なんか一丁やったろかい
作詞・補作詞
山本譲二
夢街道(補作詞)
歌碑・記念館 [編集]
鳥取市に『港春秋』の歌碑がある。
星野哲郎の故郷周防大島町には『なみだ船』の歌碑もある。
北海道函館市末広町には北島三郎記念館があり、北島三郎に関する資料などが展示されている。
出演作品 [編集]
レギュラー番組 [編集]
祭りだ!わっしょい!(フジテレビ、1971年)
サブちゃんと歌仲間(テレビ東京、他)
お元気ですか北島三郎です(アール・エフ・ラジオ日本、他)
時代劇 [編集]
長谷川伸シリーズ 第13話 「旅の馬鹿安」(1972年、NET)
暴れん坊将軍 I~XIIシリーズ(テレビ朝日):江戸町火消し『め組』頭・辰五郎 1978年 - 2002年
VIIIシリーズから江戸町火消肝煎・辰五郎、IXシリーズから江戸町火消総元締・辰五郎として準レギュラーになる。暴れん坊将軍の全てのオープニング(IXシリーズ、XI・XIIシリーズ)・エンディング(Iシリーズ~Ⅷシリーズ、Xシリーズ、800回スペシャル、春のスペシャル)も歌っていた。IXシリーズ、Iシリーズ~VIIIシリーズ、Xシリーズ、800回スペシャルの歌詞の作詞、作曲は原譲二(北島三郎)である。
テレビ番組 [編集]
非情のライセンス 第二シリーズ(1975年、NET)
水曜ドラマスペシャル「女コロンボ危機一発! 」(1985年、TBS)
ライスカレー(1986年、CX)
月曜ドラマスペシャル「リストラ刑事」(1999年、TBS)
優しい時間 第7話「息子」(2005年、CX)
歌謡コンサート(NHK)
スタジオパークからこんにちは(NHK)北山たけしと一緒に出演。
徹子の部屋(ANB)
笑っていいとも! テレフォンショッキング・ゲスト(CX)
SMAP×SMAP(CX)
ごきげんよう(CX)
ボクらの時代(CX)
年忘れにっぽんの歌(12CH)
関口宏の東京フレンドパークII (2009年、TBS)
舞台公演 [編集]
北島三郎特別公演
およそ1か月の期間において行われる。北島自身もシナリオ・演出に関与する時代劇ベースの人情芝居と、北島ワールド全開の歌謡ショーの(北島三郎大いに唄う)2部構成となっている。最後のまつりが流れるときの舞台は毎年違うセットである。
現在は、会場として新宿コマ劇場(東京都新宿区)、梅田芸術劇場(大阪市北区)、御園座(名古屋市中区伏見)及び博多座(福岡市博多区)が使われている。
テレビCM [編集]
ボールペン(三菱鉛筆)1960年代後半のCMで北島が歌う「まっくろけのけ」は当時流行った
お茶づけシリーズ(永谷園)
すし太郎(永谷園)
おしるこシリーズ(永谷園)※ナレーターのみ
チオビタドリンク(大鵬薬品):山本譲二と共演もある。
ウナコーワ(興和)
公共広告機構(現:ACジャパン):「交通事故死ワーストワン返上」北海道地域
北海道米PRキャンペーン
BOSS贅沢微糖(サントリー)『贅沢銭湯』篇 伊藤淳史と共演
パチンコ・パチスロ [編集]
パチンコ
CRお祭りサブちゃん(2003年・京楽産業)
CR粋だね!サブちゃん(2006年・オリンピア[HEIWA BROSブランド])
パチスロ
お見事! サブちゃん(2004年・オリンピア)
め組のサブちゃん(2006年・オリンピア)
「お見事! サブちゃん」のパネル違いの再発版であり、ゲーム内容は同一。
通信カラオケシステムでの本人出演映像 [編集]
2003年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する北島の代表曲で背景映像に北島本人が出演する映像が多く採用されている。主な作品は以下の通りである。
与作
北の漁場
風雪ながれ旅
過去の主なレギュラー番組 [編集]
北島ウインクハート(テレビ東京、他)
競馬との関連 [編集]
日本の競馬界では、「キタサン」の冠号で多くの競走馬を所有する馬主としても知られる(登録上の名義は「大野商事」)。
地方競馬でも、楠賞全日本アラブ優駿を制したトライバルセンプーなどがいる(トライバルセンプーは夫人名義だが北島も実質的にオーナーに等しい)。
勝負服のデザインは、母校函館西高校ラグビー部のジャージを模したものである。
主な所有馬 [編集]
キタサンテイオー(全日本3歳優駿)
キタサンフドー(小倉3歳ステークス2着)
キタサンチャンネル(ニュージーランドトロフィー)
キタサンヒボタン(ファンタジーステークス)
家族 [編集]
次男の大野誠は、ロックバンド『1st BLOOD』のボーカルMAKOTOとして活躍していたことがある。これは二世芸能人としてのデビューより、近畿地方(関西)を中心にMAKOTOの芸名で活躍していた北野誠が本名を芸名とするきっかけとしてむしろ知られている。誠はその後『大地土子』のペンネームで、北島の曲の作詞・作曲を手がけている。
三女の領子は『演劇集団 円』を経て『オスカープロモーション』に所属する、女優・声優の水町レイコである。
北島ファミリー [編集]
山本譲二(2007年元旦付で北島音楽事務所から独立したが、暖簾分けの形であり現在も北島ファミリーの一員である)
原田悠里
小金沢昇司
和田青児
山口ひろみ
北山たけし(北島の娘婿)
大江裕
かつて在籍したメンバー
大橋純子
松原のぶえ
やや
里見☆しのぶ
岸本ゆきえ
チャダ
関連項目 [編集]
川島正行
水町レイコ - 北島の三女。女優、歌手。
白木みのる