2ntブログ
常に暇を持て余してる☆★Cana★☆持て余してるが日々のアレやコレやを書き綴ってみたり、色んな事に対して感想を述べてみたりする様な基本的に暇つぶし兼、愚痴の場みたいな感じですwww

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

NON STYLE

NON STYLE(ノンスタイル)は、石田明と井上裕介の2人による漫才コンビ。所属事務所は吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)東京本部。2000年5月14日結成しオーディションを受けてbaseよしもとに入る。爆笑オンエアバトル第9代チャンピオン。2008年M-1グランプリ優勝。略称はノンスタ。

目次 [非表示]
1 メンバー
2 来歴
3 芸風
4 エピソード
5 歴史
6 出演番組
6.1 レギュラー
6.2 レギュラー以外
6.3 過去の出演
7 雑誌
8 著書
9 単独ライブ
10 DVD・CD
10.1 DVD
10.2 CD
11 脚注
12 外部リンク


メンバー [編集]
石田 明(いしだ あきら、1980年2月20日)
ボケ担当・ネタ作り担当。身長173cm、体重49kg、B87cm、W59cm、H80cm、F26.5cm。
立ち位置は左。血液型はB型。大阪府大阪市北区中津出身。
NON STYLEを組む前は高校の同級生と「ほりごたつ」というトリオで活動。心斎橋2丁目劇場などで活動していた。解散後は「ジャッジメント石田」と名乗り、ピン芸人をしていたが、井上に誘われNON STYLEを結成。
全身白の衣装のきっかけは井上に「ボケやったらもっと明るい色を着てこい」と言われた為。 衣装はネクタイ、シャツ、パンツ、靴、ベルトを毎回変えているが、本人曰く「誰にも気づかれない」。レディースブランドのパンツを着用している事があり、研ナオコから「私のズボンを履けるのはあなただけです。」という手紙と共に白いパンツを贈られた。
スレンダーな体型を活かし「しんにょう」「りっしんべん」「おんなへん」「いとへん」「ぎょうにんべん」など、体で部首をあらわすネタを持っている。
キングコングの西野亮廣とは大阪時代から仲がいいが、たまに親友という表現を使うほど腐れ縁で、ある日西野が蕎麦屋から出てくると偶然隣りのカレー屋から石田が出てきて、並んで一緒に帰ったこともある。 [1]
2009年1月15日放送の「キンコンヒルズ」では、M-1で優勝した2日後に、M-1で8位となったキングコングとテレビで初共演することになり、対面後のトークでは、NON STYLEの二人がキングコングの番組の前説をしていた事が明らかにされている。
螺旋骨折した右腕は、金属のプレートとボルトで補強しているため、電磁波や静電気に過剰反応してしまう。
閉所恐怖症でありフルフェイスのヘルメットが被れない。また番組の企画で潜水をした際、過呼吸に陥った。
重度の神経過敏や不安症な面もある。寝床につく時に呼吸の仕方がわからなくなり、メトロノームに合わせて呼吸をしていた事をブラックマヨネーズの吉田敬に相談していた。
M-1グランプリ以前から、分不相応な車を所持していたせいで借金が400万円以上あったため、賞金500万円のほとんどを借金返済に充てねばならなかった。本人曰く「自分を追いつめないとがんばれない子」。
演歌歌手のジェロと親交があり、ジェロを通じて藤あや子、坂本冬美とも交流している[2]。
趣味は読書、紙粘土と、井上に悪戯を仕掛ける事(鞄に大量の飴やプルタブを詰める、私服の靴の先にバカと書いた紙コップを詰める、楽屋の弁当を一口食べる、衣装の袖を固結びする、井上が楽しみにして買ったベビースターを粉々に砕いた、寝ている井上の股間にコーラをかけて起こす等。S-1バトルでも「石田の暇つぶし」というタイトルで悪戯を仕掛ける様子の映像を披露した)、ブーメラン(一度海辺でブーメランを投げていたときブーメランが海に落ち取りに海へ入ったところ近くにいた不良に『死ぬな~』とさけばれたらしい)[3]。
ペットにオカヤドカリ15匹とクリオネ、食用目的で購入したヤシガニを1匹だけ飼っている。
家には玩具がたくさんある。
2006年のよしもと陸上の全員参加マラソンで4位を獲得した。
2009年オールスター感謝祭のミニマラソンで6位を獲得した。
酔った井上が泣き出すとすぐに写メを撮る。
トータルテンボスの野球チーム「アフロモンキーズ」の一員。だが一度も試合に参加していない。
酒好きにして酒豪。酔うと気が大きくなる節があり、以前酔った際白い服を着ている男性に「白い服着んのやったら俺に許可とらんかい」と絡んだ。
板前をしていた経験があり、料理の腕はかなりのものである。
猫等の動物の毛のアレルギー。
2009年6月16日、大阪時代から長年交際していた相手がいたことが報道により判明した。本人も公式ブログなどで認めている。相手は大阪府在住の一般女性。
プロ野球は巨人のファンである[4]。
小学校から高校までの9年間、野球経験者[5]。
2009年7月12日から期間限定で、スポーツニッポン特別編集委員就任[5]。
吉本男前ランキング最高3位(2009年)
2008年の暮れ頃から10円ハゲができて、だんだん大きくなってきている。
LIVE STAND 09のPRのために結成された「ライブスタンドボーイズ」の一員である。
2009年7月15日にライブスタンドボーイズとして「FOR YOUR SMILE」で着うたデビューした。
実家が貧しく食生活に恵まれなかったため、骨年齢が72歳と判定され、血管年齢は73歳と判定されている。
スキップをしたら足の指を骨折。デコピンをしたら中指を複雑骨折。医者からシッペを止められている。ボールを投げて腕を螺旋骨折。相方、井上のツッコミにより、肩を脱臼。
病院の食事で痛風になる
タバコを吸ったら風邪をひく。
虚弱なエピソードが豊富であり、井上には「骨折名人」と言われている[6]。
2009年8月9日放送、TBS『ザ・ドリームマッチ'09 真夏の若手芸人祭り(史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ)』でオードリーの若林とコンビを組み、最優秀コンビ賞を受賞した。ネタ作り担当同士ということもあり、互いに「やりやすかった」、「月に1回イベントをやりたいくらい」と番組内で話すなど、息の合った様子を見せた。ちなみに番組内で披露した漫才は約4分のネタだったが、ネタ合わせ当初は15分以上あったという。[7]
エレベーターに閉じ込められたことがある。NON STYLEのエレベーターのネタはこの石田の実体験から出来ている。
井上 裕介(いのうえ ゆうすけ、1980年3月1日)
ツッコミ担当。身長165cm、体重63kg、B84cm、W66cm、H89cm、F25cm。
来歴 [編集]
元々2人は同じ中学・高校に通っていた。高校で仲良くなったふたりは遊びで漫才やコントをしたことがきっかけとなり、井上が大学に落ちたら一緒にNSCへ行こうという話をしていた。しかし井上は大学へ合格し進学。石田は(父親が板前なため)板前として就職することに。

石田は板前修業をしていた2年の間に、高校時代の友人ふたりに誘われ「ほりごたつ」というトリオで心斎橋筋2丁目劇場のWachachaブレイクに一度だけ出演した。トリオを解散した石田は、1人でストリートでコントなどをしようと考えていた。一方井上は、大学でパンクバンドを組んでいたが解散し、ストリートミュージシャンになろうとしていた。

石田の現状を知った井上から「俺がギターを弾くからお前がベースを弾け。合間に漫才をしよう」と誘いを受け、NON STYLEが結成された。しかし路上での漫才中、酔っ払いの男の人に漫才について2時間も説教をされ、男の人を見返すために漫才だけに絞った。今では漫才の大会で優勝を何回もしているため、「その男の人に感謝をしている」との事。

プロになる前は神戸・三宮駅付近の路上で漫才を行っていた。また、この路上ではコブクロもライブをしていた。

2000年5月14日にbaseよしもとのオーディションに受かりプロデビュー。吉本興業に入る前の数ヶ月間は、大阪の小さなプロダクション(ケーエープロダクション)の研修生だった。

オーディション組だが、大阪NSC22期生(ダイアン、ミサイルマン、ネゴシックス、中山功太、キングコングなど)、東京NSC5期生(大西ライオン、三瓶、平成ノブシコブシ、ピース、5GAP、ラフ・コントロールなど)と同期になる。

『爆笑オンエアバトル』の前説を行った時にスタッフから「次の週か、次の次の週に出場できる。」と告げられていたが、出場は5年後になった。

2006年、第4回MBS新世代漫才アワードで優勝し、同年末に初冠番組『NON STYLEのフリースタイル!!』が放送された。

2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得、baseよしもとのトップ組に昇格するなどして活躍。

『爆笑オンエアバトル』では、チャンピオン大会を含めた全ての挑戦で上位5位以内をキープしている。尚、チャンピオン大会に出場経験のある芸人に限定すると、現時点(第11回チャンピオン大会終了時)までにこの記録を達成しているのはますだおかだとNON STYLEの2組のみ。

その後2008年4月6日をもって、8年間所属していたbaseよしもとを卒業し、東京進出。石田・井上共に東京に住居を構え、以降は、京橋花月・ルミネtheよしもと等で活動している。

2008年12月21日の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系列)で、最終決戦で5票(全7票中)を獲得して優勝を果たす。『爆笑オンエアバトル(チャンピオン大会)』と『M-1グランプリ』の両方で優勝したのはアンタッチャブル以来2組目。

M-1グランプリ2009に連覇を目指し出場することを表明。歴代王者が再び出場するのは、2003年度王者フットボールアワーの2006年度の参加以来であり、優勝者が翌年も出場するのはM-1史上初である。

芸風 [編集]
話術やテンポの良さを重視し、ボケの石田の動きに井上がツッコミを入れていくスタイルが主流。2007年までは「イキリ漫才」と呼ばれるスタイルをとっており、『爆笑オンエアバトル』優勝時のネタも「イキリ漫才」だった。

漫才開始時にはほぼ必ず、井上が格好を付けようと、スーツの下にタンクトップを着ている事を石田が周囲にさらす。
直後、石田が井上を「お前はイキってる」といじる。
その直後会場の客席に「あ、皆さんイキりって分かります? 関西の方言で、かっこをつけている、調子にのっている、キザ、イライラする、なおかつ気持ち悪い、まじ生理的に無理を合わせた言葉なんです」と解説する(一部つかない場合もある)。
主なネタとして「お化け屋敷でのデート」、「恋人の振り方」、「親友への恋人の譲り方」など、女性を口説いたり、恋愛に関するものが多い。他にも、「火事」や「川でおぼれる少年を助ける」、「みねうち」などがある。主に井上が話を進めるが、石田が鼻であしらう態度をとるというのが多い。ただし、井上自身が途中からその世界に陶酔して、数分間芝居を続けるというネタもある。

2008年以降は、石田がボケた後さらに自分自身の太ももあたりをグーで殴り自省するのを、井上が突っ込むというスタイルの漫才に変更した。この変更について石田は、2007年までのM-1グランプリでは準決勝までしか進めなかったことを受けて「今の漫才の形ではこの先は無い(と思ったから)」と語っている。[8]また、雑誌のインタビューでは「ネタ合わせの時に試しに入れたら、井上がそれで笑ったんで」とも語っている。

ただし現在も『エンタの神様』などでネタを披露する際に、イキリ漫才のスタイルが残るネタはある。また、ダイノジ大地のよしもとオンラインでの発言によると、東京では「イキリ」という言葉が通じないため、説明を行うことでの時間の浪費を抑えるためという。

ネタ作りは主に石田が担当している。ネタ帳にはルーズリーフを使用し、これまで書いたものを全部積み上げると電子レンジ2台分ぐらいの高さになるとのこと。

エピソード [編集]
社交的で前向きな井上と内向的で気の弱い石田の性格は正反対で、二人の関係は井上がNON STYLEの社長で、石田が従業員(下請け)であると本人たちが述べている。
結成当初は淀川の河川敷でネタ合わせをしていたため、石田はコンビ名の候補に「淀川ピーナッツ」を提案するも、井上はダサいという理由から却下し、コンビ名に“ん”が入っているというげんかつぎと当時横文字のコンビが少なかった事をふまえて“型にはまらず自分らしく”という意味で「NON STYLE」と命名した。
路上での漫才が口コミで評判を呼び、チュートリアルの徳井とサバンナの八木が見学に来たことがある。
中学時代、出席番号1番が石田明で、出席番号2番が井上裕介だった。しかし中学時代はほとんど喋ったことがなかったという。また当時は石田の方が身長が低かった。
中学時代、修学旅行のバスの中がカラオケで盛り上がっていたとき、歌が苦手な石田に順番がまわってきたが、流行の曲を知らず親の影響で『ロンリーチャップリン』の男性ボーカル部分だけを仕方なく歌うが、案の定バスの中は気まずい雰囲気になってしまった。そのとき女性ボーカル部分を歌いデュエットしたのが「当時まだそんなに仲良くなかった」井上だった。石田曰く「優しい人もおるんやなぁと思ったけど、やっぱり歌い方はイキっていた」。[9]
高校時代、井上は新大阪駅構内のカレー屋でアルバイトをしており、また駅構内の他のお店でアルバイトをしていた女の子が好きだった石田は、よく井上のバイト先に愚痴を言いに遊びに行っていた。ちなみに石田も駅構内でアルバイトをしようと面接に行ったが、当時声が小さく初対面の人とうまくしゃべれなかったり、目に覇気が感じられないとすべてのお店の面接に落ちたという。[10]
2008年3月頃に井上の提案による東京進出を巡り、大ゲンカになったことがある。解散話にまで発展したが今では無効に。石田曰く「寧ろ東京に来てからしっかり話し合うようになった」と結束がより強まる結果となった。
上京から半年後テレビでのレギュラー番組はゼロになったが、石田は「暇だったが逆にネタを作れる時間ができたので、何も文句はなかった」。またこの夏に『M-1グランプリで優勝したいんですツアー』を敢行し「優勝しなかったら恥ずかしい思いをするのは自分なので、敢えて崖っぷちに追い込んだ」と井上は振り返っている。[11]
2008年M-1グランプリ優勝会見では、記者の「優勝したのは誰のおかげだと思いますか?」という質問に対し、井上は「いろいろアドバイスをくださった先輩方」、石田は「まだネタが出来ていない内から今年のM-1は優勝しますと宣言して、僕を引っ張ってくれた井上」にそれぞれ感謝していた。
歴史 [編集]
2000年5月14日 - コンビ結成
2000年12月 - baseよしもとのプレステージからガブンチョライブ組に入る
2004年8月29日 - 第2回MBS新世代漫才アワード準優勝
2005年1月10日 - 第26回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞
2005年8月28日 - 第3回MBS新世代漫才アワード準優勝
2006年4月21日 - 第41回上方漫才大賞優秀新人賞
2006年7月30日 - 第4回MBS新世代漫才アワード優勝
2006年8月13日 - ヨシモト∞大阪、日曜日1部MC(9月3日までは1部2部両方のMC)
2006年10月21日 - 第21回NHK新人演芸大賞演芸部門大賞
2006年12月16日 - 第35回上方お笑い大賞最優秀新人賞
2006年12月25日 - 初冠番組「NON STYLEのフリースタイル!!」放送
2007年3月23日 - NHK「爆笑オンエアバトル」の年間王者を決定するチャンピオン大会で2連覇中だったタカアンドトシを抑えて9代目チャンピオンになる。2000年以降に結成したコンビとしては初。
2007年4月7日 - 番組編成に伴いヨシモト∞大阪、日曜日1部MCから土曜日2部MCに移動
2008年2月13日 - 初の単独DVD「NON STYLEにて」を発売
2008年3月21日 - NHK 爆笑オンエアバトルの第10回チャンピオン大会では、惜しくも3位となり連覇を逃す。
2008年4月3日 - 番組編成に伴いヨシモト∞渋谷木曜日2部のナビゲーターに移動
2008年4月6日 - 『ガンガンライブFINAL』にてbaseよしもとを卒業。その後東京進出
2008年7月19日- みさき公園「ぷーるらんどRiO」のイメージキャラクター。
2008年8月27日 - 「爆笑レッドカーペット」でレッドカーペット賞を獲得
2008年12月21日 - オートバックス~M-1グランプリ2008~優勝
2009年1月14日 - 単独DVD第2弾「NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市 ~ダメ男vsダテ男~」を発売
2009年3月31日 - 爆笑オンエアバトル NON STYLE(DVD)を発売
2009年6月30日 - S-1バトル6月度月間チャンピオン
出演番組 [編集]
レギュラー [編集]
爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前(朝日放送)
よしもとオンライン「NON STYLE トークスタイル」(よしもと劇場)金曜日23:30 - 深夜1:00(木曜2部→火曜2部→金曜2部)
大阪ほんわかテレビ(よみうりテレビ)日曜日、「ほんわか調査隊」月1レギュラー
地元応援バラエティ このへん!!トラベラー(朝日放送)大阪ナビゲーター 土曜日深夜0:30 - 1:00
激★音ボケ(TOKYO MX)日曜日22:00 - 22:30(2009年10月4日放送開始)
ウェルカムTV(テレビ東京)日曜日23:30 - 0:00(2009年10月18日放送開始)
レギュラー以外 [編集]
爆笑レッドカーペット(フジテレビ)キャッチコピーは「どんなスタイル?」→「浪花のフリーダム漫才」。2008年8月27日の放送で、レッドカーペット賞受賞。
爆笑ピンクカーペット(フジテレビ)キャッチコピーは「浪花のフリーダム漫才」
お笑いDynamite!(TBSテレビ)キャッチコピーは「2008年 M-1王者!」→「これがM-1王道スタイル」
エンタの神様(日本テレビ)キャッチコピーは「ハジけるMan才(まんざい)方式」
ザ・イロモネア(TBSテレビ)『ゴールドラッシュ』に出演。イロモネア挑戦権獲得。
クギづけ 投稿動画ハイスクール(日本テレビ)動画投稿
過去の出演 [編集]
テレビ
おはよう朝日 土曜日です(朝日放送、2005年10月 - 2007年12月)
NON STYLEのフリースタイル!!(毎日放送、2006年12月25日)
ありがとう〜お仕事はNON STYLE〜(関西テレビ、2007年7月3日 - 12月25日)
痛快!エブリデイ(関西テレビ)
ラジかるッ(日本テレビ、木:2007年10月 - 2008年9月、金:2007年10月 - 2008年3月)
ちちんぷいぷい(毎日放送)
爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績10勝0敗 最高509KB 9代目チャンピオン
第8回チャンピオン ファイナル5位
第9回チャンピオン ファイナル1位(チャンピオン)
第10回チャンピオン ファイナル3位
成人の日スペシャルの合同コントでは、トータルテンボスと共演。
ヨシモト∞( - 2008年3月(大阪)、2008年4月 - 12月(東京))
音笑! MMM(よみうりテレビ・日本テレビ)(2008年10月 - 2009年3月)
快盗!!シノビーナ(テレビ朝日)不定期放送 (~2009年9月)
人志松本の○○な話(フジテレビ、2009年7月7日 - 14日) 石田のみ
ラジオ
baseよしもとガンラジ(ラジオ大阪)
レコメン!(文化放送、2009年2月16日)
CM
オートバックス
東洋水産 企業CM『Smiles for all』
トヨタ自動車※Rush-1グランプリに優勝 CM出演権獲得
あきんどスシロー石田のみ
雑誌 [編集]
マンスリーよしもと
お笑いポポロ(2007年11月号 Vol.21 - 2009年8月号vol.28)
お笑いTVLIFE(Vol.1 - Vol.5)
Smart FACE 石田のみ
CACCO-E!
zipper石田のみ
著書 [編集]
「HON STYLE~こんな感じで、本出しちゃっていいんですか!?~」(2009年、ワニブックス)
単独ライブ [編集]
2003年
9月28日 - 「ピクニック」(baseよしもと/大阪)
11月17日 - 「クロワッサン」(baseよしもと/大阪)
2004年
1月17日 - 「ポメラニアン」(baseよしもと/大阪)
3月1日 - 「ホットミルク」(baseよしもと/大阪)
5月1日 - 「プラネタリウム」(baseよしもと/大阪)
7月31日 - 「ベビーカステラ」(baseよしもと/大阪)
9月25日 - 「クーピー」(baseよしもと/大阪)
2005年
1月26日 - 「N」(baseよしもと/大阪)
2月26日 - 「ゲスティ」(baseよしもと/大阪) ※トークライブ
3月23日 - 「N-2」(baseよしもと/大阪)
5月13日 - 「N-3」(baseよしもと/大阪)
8月4日 - 「タオルケット」(baseよしもと/大阪)
11月20日 - 「MANZAI STYLE」(baseよしもと/大阪)
2006年
2月14日 - 「よりによって」(baseよしもと/大阪)
3月1日 - 「伝説の始まり」(baseよしもと/大阪)井上はDay of the legendとして出演
4月27日 - 「もしかして」(baseよしもと/大阪)
6月29日 - 「なのになぜ」(baseよしもと/大阪)
8月8日 - NON STYLE ゲストトーク LIVE(baseよしもと/大阪)
8月22日 - NON STYLE ゲストトーク LIVE(baseよしもと/大阪)
8月25日 - 「さらに」(baseよしもと/大阪)
11月8日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
2007年
1月6日 - 「精神強化」(baseよしもと/大阪)トークライブ、石田のみ
1月18日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
3月8日 - 「精神強化」(baseよしもと/大阪)トークライブ、石田のみ
3月31日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
5月25日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
7月26日 - 「大阪にて」(baseよしもと/大阪)
8月8日 - 「名古屋にて」(ASUNAL HALL/名古屋)
8月19日 - 「東京にて」(ルミネtheよしもと/東京)
2008年
2月29日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
4月5日 - 「石田介護施設 vs I company」(baseよしもと/大阪)
7月27日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ルミネtheよしもと/東京)
8月3日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ビブレホール/福岡)
8月15日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(よしもと紙屋町劇場/広島)
8月17日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ターミナルプラザことにPATOS/札幌)
8月23日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ASUNAL HALL/名古屋)
9月7日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(なんばグランド花月/大阪)
2009年
7月31日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(大阪/IMPホール) 
8月2日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」 (沖縄/ナムラホール)
8月9日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(札幌/共済ホール)
8月22日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(静岡/浜松市勤労会館)
9月5日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(岩手/岩手民会館中ホール)
9月6日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(名鉄ホール)
9月13日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(福岡/イムズホール)
9月18日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(徳島/あわぎんホール(旧・郷土文化会館))
9月19日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(高知/高知県民文化ホール・グリーンホール)
9月26日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(大分/音の泉ホール)
9月27日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(石川/文教会館)
10月3日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(新潟/新潟県民会館)
10月4日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(広島/NTTクレドホール)
10月12日 − 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(東京/よみうりホール)
DVD・CD [編集]
DVD [編集]
新風baseよしもと ネタトウタ2004(2004年12月15日)
baseよしもと ネタトウタ2007(2007年5月23日)
NON STYLEにて(2008年2月13日)初の単独DVD
犯人と人質(2008年11月19日)
NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市 〜ダメ男vsダテ男〜(2009年1月14日)
爆笑オンエアバトル NON STYLE(2009年3月31日)
M-1グランプリ2008完全版 ストリートから涙の全国制覇!!(2009年3月31日)
CD [編集]
「ニコニコチャンプ」(2007年9月5日)
テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』10代目エンディングテーマ
作詞・作曲:井上裕介
「見上げれば、青い空」〈ミニアルバム〉※Day of the legendとして
作詞・作曲:井上裕介
「おかあちゃん」
日本テレビ系音楽番組『MMM』の「第2回・芸人マジ歌フェスティバル」にて披露。
作詞:NON STYLE 作曲:井上裕介
CDは発売していないが、MMM携帯サイトよりダウンロードできる。
脚注 [編集]
[ヘルプ]
^ 2009年8月31日付けの西野のブログより
^ 2009年4月19日放送『おしゃれイズム』より
^ 2009年9月24日に放送された「ダウンタウン超DX」のコーナー「視聴者は見た!」で石田本人から明らかにされた。
^ 2009年7月11日放送の地元応援バラエティ このへん!!トラベラーより
^ a b 石田決意!「始球式で骨折します」?
^ 2009年2月5日付けの井上のブログより
^ 2009年8月10日付の石田公式ブログより
^ M-1グランプリ2008の事前番組にて。
^ 2009年6月9日のよしもとオンラインにて、石田はこの曲を個人的な想い出のある名曲としてあげている。
^ 2009年8月22日深夜放送の『地元応援バラエティ このへん!!トラベラー』より
^ 2009年3月21日放送『ルミネtheよしもと ネタ超一流シーズン4』より
[ 1999/12/02 12:36 ] wikipedia | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
この記事のトラックバック URL

プロフィール
Cana
Name⇒Cana
ニートというかプー太郎というか… 基本的にメインのお仕事は自宅警備ですwww
検索フォーム
カレンダー
04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
フリーエリア

フリーエリア